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2016年7月の6件の記事

2016年7月29日 (金)

【時習26回3-7の会 0611】~「08月20日開催予定【2637の会/クラス会】関連‥田中君&山中さんからのmessage」「07月23日:名古屋市美術博物館『世界遺産/ポンペイの壁画』展&岐阜県美術館『ゆるり日本画/絵の中の旅』展&鞍ヶ池 Art Salon『Water ~きらめく世界~』展を見て」「原田伊織著『官賊と幕臣たち~列強の日本侵略を防いだ徳川technocrat~』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0611】号をお送りします。
 今日は先ず、掲題・副題の通り、今夏08月20日(土)開催予定の【2637の会/クラス会】関連のNEWSからお伝えします。
 07月25日、田中H直君からアンケートの回答を頂戴しました。
 田中君は、今回「クラス会」も欠席されますが、嬉しい《近況》messageを頂戴しましたので以下の候補日一覧表にupします。
 田中君、有難う!
 田中君からの回答で、22人という classmates の半数の皆さんから response を頂戴しました。
 大変有難うございます。

 続いて嬉しいお知らせがもう1件あります。
 今日山中K子さんから08月20日のクラス会出席頂ける旨の mail を頂戴しました。
 山中さん、有難う。
 田中君、山中さん、お二人からの comment を以下の08月20日出欠状況の一覧表に up させて頂きますのでご覧下さい。
 あとは、08月20日が△の彦坂君!朗報をお待ちしています。
 又、08月20日が✖で、06~14日のいずれかが○や△だった、伊東君、太田君、金子君、二橋君へ
 08月20日に参加して頂くことが可能であれば是非参加下さい。
 お待ちしています!
 更に、アンケートで全て✖だった方々も、又、アンケートをまだお送り頂いていない皆さんも、朗報を期待しています!

=候 補 日=20
01.菰田K=○
02.石田Y=○
03.渡辺S=✖
04.林恭K=○
05.下浦Y=✖
06.山中K=○
Lいつもお世話になっています
 20日の同窓会参加させていただきます
 よろしくお願いします
07.彦坂T=△
08.山田K=✖
09.伊庭R=○
10.中山Y=✖
11.中村H=✖
12.二橋Y=✖
14.伊東M=✖
15.金子T=✖
16.犬飼R=✖
17.太田M=✖
18.千賀S=○
19.小久保=○
20.牧野M=○
21.峯田H=○
22.田中H=✖
L今年退職しましたが雇用延長でまだ現役を続けています
 豊橋にはなかなか帰る機会がありません
 いつも力作メールで元気を頂いております
23.今泉悟□=○
 ※○計※ =10
 ※△計※ =01
 [◯+△] =11
 ※✖計※ =12
〔到着順、一部姓名略、敬称略〕

■さて今日の話題は、掲題・副題にあります様に、07月23日(日)に私用で名古屋へ行く用事があったので、一緒に美術館2つと博物館1つ見て来ました。
 順次その模様をお伝えします。

【名古屋市博物館『世界遺産/ポンペイの壁画』展】
 1748年に発掘が開始された古代都市ポンペイの、城壁で囲まれた市街地面積は約66haと、日本の新宿御苑薬58haより一回り大きい。
 18世紀半ばから現在迄250年継続されている発掘調査で、ポンペイ遺跡は全体の約8割の発掘が完了しているという。
 因みに、ポンペイの人口はベスビオ火山大噴火当時 約12,000人。
 一方、同時代の紀元1世紀の初代皇帝Augustus治世下の地中海人口は5千万人と推定されている。
 片や、現代の地中海人口は、約4億7千万人と、当時地中海人口の約10倍。
 当時と現代の人口規模変遷を勘案すれと、当時のポンペイは現代の人口10万人都市に相当すると言っていいかもしれない。

[01]本展Ticket
 01ticket

[02]名古屋市博物館内の本企画展撮影corner
 02corner

[03]『赤い建築を描いた壁面装飾』1世紀BC後半
 031bc

[04]『カルミアーノ農園別荘 トリクリニウム(=食堂) 西壁【ポセイドンとアミュモネ】』62-79年AD
 04_6279ad

[05]『西のインスラ【ナルキッソス(Narciso)】』62-79年AD
 05narciso6279ad

[06]『ケイロンに拠るアキレウスの教育(Achille e Chirone)』1世紀AD後半
 06achille_e_chirone1ad

[07]『赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス(Eracle e Telefo)』1世紀AD後半
 07eracle_e_telefo1ad

[08]『テセウスのミノタウロス退治(Teseo e il Minotauro)』1世紀AD後半
 08teseo_e_il_minotauro1ad

[09]『ダナエとペルセウスのセリフォス島漂着(Danae a Serifo)』1世紀AD後半
 09danae_a_serifo1ad

[10]『踊るマイナス(Menade in volo)』1世紀AD後半
 10menade_in_volo1ad

【小生comment】
 本展の壁画の中では、[06]『ケイロンのアキレウスの教育』、[07]『赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス』、[08]『テセウスのミノタウロス退治』の3作品が矢張り圧巻であった。
 今から2千年近く前、日本では弥生時代という大昔に、Italy Renaissance 時代と見紛う様な high-level の fresco画があることに驚きを禁じ得ない。
 名古屋博物館の滞在は、ほんの1時間に満たない僅かな時間であったが、小生、古代ローマ時代に一人思いを馳せていた。
 因みに、2009年03月に、小生唯一の欧州旅行の地はItaly周遊8日間の旅だった。
 その時、観光名所を沢山見たが、残念乍らポンペイ遺跡は訪れていない。
 ポンペイは、カプリ島「青の洞窟」、Rome市内一日逍遥、の三所択一のoptional tourの一つであった。
 処が、その時小生は、皇帝Tiberiusが住んだカプリ島見たくてカプリ島を選択した。
 だから小生、「未訪問のポンペイ遺跡を見られるぞ!」と、大きな期待をもって拝観に臨んだのである。
 そしてその観覧は、期待に違わぬ楽しいひとときであった。

【岐阜県美術館『ゆるり日本画/絵の中の旅』展】
 本展は、北海道立近代美術館collectionの日本画約80点に拠る企画展覧会である。
 横山大観、竹内栖鳳、山口蓬春、岩崎英遠、片岡球子ら巨匠に加え、道産子の作家達の作品を紹介している。
 先ずは、以下の12作品をご覧下さい。

[11]岐阜県美術館 本企画展入口/写真の絵:片岡球子『山(富士山)』1964年
 11_1964

[12]本展leaflet
 12leaflet

[13]竹内栖鳳(1864-1942)『家兎』1939年
 13186419421939

[14]筆谷等観(1875-1950)『夜遊之図』1924年頃
 14187519501924

[15]北上聖牛(1891-1969)『晴間』1928年
 15189119691928

[16]本間莞彩(1894-1959)『出稼ぎの娘たち』1958年
 16189419591958

[17]山口蓬春(1893-1971)『向日葵』1955年
 17189319711955

[18]同『紫陽花』1957年
 181957

[19]森田沙伊(1898-1993)『宵』1951年
 19189819931951

[20]岩崎英遠(1903-99)『虹輪(来迎)』1969年
 201903991969

[21]片岡球子(1905-2008)『還城楽』1967年
 21190520081967

[22]菊川多賀(1910-91)『回想賦(大正五年頃)』1984年
 221910911984

[23]福井爽人(1937- )『北の岬』1993年
 231937_1993

[24]羽生輝(1941- )『北の岬(知床)』1989年
 241941_1989

【小生comment】
 日本画界の巨匠も探せは北海道出身者も少なくない。
 山口蓬春は松前町、岩崎英遠は現・滝川市、片岡球子は札幌市の醸造業者の、筆谷等観は小樽の回船問屋と料亭の家に生まれた。
 猶、本展に展示されていた道産子の作家達の出身は以下の通りである。
 北上聖牛は函館出身、本間莞彩は北海道で画業を続けた。
 森田沙伊は現・札幌市、菊川多賀も札幌市の土木建築業を営む家に生まれた。
 福井爽人は旭川市出身、羽生輝(ひかる)は生まれこそ東京だが7歳から釧路市で育った。
 いずれの展示作品も綺麗で、見る者に作者の意図が確り伝わって来る様な傑作揃いで楽しい企画展であった。

【鞍ヶ池 Art Salon『Water ~きらめく世界~』展】
 本展では、水を思わせる抽象画も含めて、様々な『水辺』に皆さんをご案内いたします。
 作品毎に多種多様な表現を、見比べてお楽しみ頂ければと思います。〔以上、本展 leaflet より引用〕
 日本人洋画家の泰斗、藤島武二・和田英作・荻須高徳から始まった。
 本展の特筆すべきは、上記巨匠らに加え、現在の若手画家の作品迄、粋な作品を取り揃えてくれた傑作展である。
 以下に、本展展示作品一覧を記す。
 ホント、素晴らしかったですヨ!

[25]本展leaflet
 25leaflet

【01】[26]藤島武二(1867-1943)『波(1)』1931年頃
 261867194311931

【02】和田英作(1874-1959)『渓流』1950年代
【03】山口薫(1907-1968)『マルティッグ風景』1933年
【04】荻須高徳(1901-1986)『ヴェネツィア、エルベリア』1972年
【05】矢橋六郎(1905-88)『ベニスの朝』1968年
【06】石川慈彦(1909-94)『塔の見える運河 Amsterdam』1990年頃
【07】中川一政(1893-1991)『芦野湖々畔』1970年頃
【08】佐竹徳(1897-1998)『奥入瀬』1949年
【09】鬼頭鍋三郎(1899-1982)『芦ノ湖』1950年
【10】笠井誠一(1932- )『漁船(西浦)』1971年
【11】尾崎良二(1934- )『浜松外洋(浜千鳥)』2000年
【12】進藤蕃(1932-98)『映え渡る駿河富士』1996年
【13】池田光弘(1978- )『Untitled』2008年
【14】奥井ゆみ子(1966- )『海辺』2007年
【15】木村秀樹(1948- )『FALL-1』1994年
【16】千住博(1958-)『ウォーターフォール』2009年
【17】[27]千住博『ウォーターフォール L-FINESSE』2005年
 271958_lfinesse2005

【18】浅野弥衛(1914-96)『作品』1964年
【19】安田悠(1982- )『Obscure』2008年
【20】桑久保徹(1978- )『海に咲く花-ロシア』2006年
【21】鈴木敦子(1981- )『水面』2006年
【22】堀浩哉(1947- )『池へ-H』1981年
【23】堀浩哉『池へ-J』1981年

【小生comment】
 何れの作品も、水をthemeにした作品であり、傑作ばかりなので、見ている者に確りと清涼感伝わって来る。
 小生も、こういう素晴らしい絵を描いてみたくなった‥。
 が、小生、まだ仕事等に追われ、「絵を描く」程の時間的余裕がなく残念に思う。
 勿論、趣味を絵画だけにすれば絵を描くことは出来る。
 でも小生、「アレもコレも遣りたいことだらけで、絵画だけに終始したくない」のも本音である。

■そして今日最後にお届けする話題は、最近読んだ原田伊織著『官賊と幕臣たち~列強の日本侵略を防いだ徳川technocrat~』についてご紹介する。
 先ず本書のindexを以下に記す。

【其の一】鎖国とは何であったか
 ・鎖国という言説/宣教師たちの目的(=【小生補足】占領に向けての先兵)/掠奪・放火・強姦、何でもありの戦場/人狩りの戦場・切支丹に拠る人買い人売り
【其の二】オランダの対日貿易独占
 ・切支丹金令/オランダの対日貿易独占/オランダ風説書
【其の三】幕府の対外協調路線
 ・アヘン戦争と米墨戦争/老中阿部正弘の決断/日露交渉と川路聖謨(かわじ としあきら(1801-68))/大老井伊直弼(1815-60)の決断
【其の四】幕末日米通貨戦争
 ・ハリスは童貞?/1ドル=1分と1ドル=三分の争い/コバング大流出/米英に立ちはだかった水野忠徳(1810-68)/米英の俗物に敗北、水野筑後守忠徳憤死
【其の五】官と賊
 ・正義の基準としての「官」と「賊」/竹内式部(1712-68)の尊王攘夷主義/勤皇志士に拠る残虐テロ/イギリスと組んでいた密貿易の国・薩摩/「死の商人」グラバーの暗躍

 以上のindexからなるが、先ず「其の五/官と賊」から「勤皇志士に拠る残虐テロ」の一部(P.200-201)を引用してご紹介したい。

 阿部正弘、堀田正睦、井伊直弼政権が敢然と対外協調路線に踏み切り、川路聖謨、水野忠徳、井上清直(1809-68)、小栗忠順(1827-68)といった英傑といってもいい優秀な徳川幕臣 technocrat が、その知力と人間力というものを武器に欧米列強と正面から渡り合い、時の孝明天皇(1831-67)が夷人嫌いであり乍らも、幕府に対する「大政委任」という政治上の大原則を一貫して崩さず、薩長を中心とした尊攘激派、所謂 terrorist が喚く「復古主義」というものを忌み嫌ったことが、この国が二元政治状況に陥ることを辛うじて防ぎ、それに拠って、幕末日本は欧米列強の侵略を防いだとみることが出来る。
 幕府が対外協調路線に踏み切ってからは、尊攘激派の terrorism は益々激しくなった。
 安政07(1860)年3月3日、江戸城内桜田門外に於いて、大老井伊直弼が水戸・薩摩の terrorist に殺害された。〔中略〕
 司馬遼太郎氏は、「暗殺は嫌いだ」と言いつつ、「桜田門外の変だけは歴史を躍進させたという点で世界史的にも珍しい例外だ」として、このテロを高く評価する。
 又、一般にも時代の変革期に暴力はつきものであるという主張が結構見受けられ、terrorism を是認する考え方は根強く生きている。
 しかし乍ら司馬氏の見解は全く「論」になっておらず、「暴論」の域にも達していない。
 「歴史を躍進させた」とは、一体どういう意味か。
 特定のカルト集団でも属さない限り、この様な意味不明の危険思想は出て来ない筈である。〔中略〕
 俗に言う安政の大獄で井伊が尊攘派を弾圧するからだ、といった類の反論が常に跳ね返って来るが、それは、例えば吉田松陰の様に平気で暗殺を主張し、実行しようとするからであって、倫理秩序を重視する徳川幕府政権としては、それこそ已むを得ない対応であったのだ。〔後略〕

 もう一つ、同じく「其の五/官と賊」から「『死の商人』グラバーの暗躍」の一部(P.241-248)を引用してご紹介する。

 薩摩藩は、表向きはこれから始まる(【小生補足】慶應02(1866)年)第二次長州征伐に消極的乍ら参加、強力しようとしている。
 しかし、裏では英国と共に長州支援に乗り出していた。
 対立していた二つの藩を結び付けたのもグラバー商会である。〔中略〕
 読者諸兄のみならず多くの日本人は、対立関係にあった薩摩・長州を結び付けたのは坂本龍馬であると信じておられるかも知れない。
 が、俗に言う「薩長同盟」の成立は、翌年(【小生注】慶応02年01月21日(1866年03月07日))1月末とされる。〔中略〕
 つまり、伊藤俊輔や井上聞多が「薩摩藩士」として走り回っていた(【小生補足】慶應元(1865)年の)半年後のことになる。
 先にはっきり述べておかねばならないことだが、軍事的な同盟を結んだかの様に言われている「薩長同盟」なるものは存在しない。
 今では学者の世界でさえ「薩長同盟」という言葉を使う方は少数派になりつつある。〔中略〕
 英米仏露四カ国に拠る「四国共同宣言」が、日本の内戦に対する厳正中立の遵守と絶対的不干渉、密貿易の禁止を申し合わせたものであった。
 これはもう、米仏露三国が、英国を牽制したものであることは明々白々である。
 それ程英国の長州に対する武器支援、それもグラバー商会を使った密輸に拠る武器売却は露骨であったのだ。〔中略〕
 グラバー商会は、幕府にも大砲と砲弾を売っている、悪質な「死の商人」であり、「日本侵略商社」であったことは明白である。〔中略〕
 大量の銃と弾薬を長州に売るが、長州にはカネがない。〔中略〕
 其処でグラバーが考え付いたのが、薩摩を絡めた三角貿易である。〔中略〕
 グラバー商会は武器を薩摩へ売り(=カネを受け取り)、武器を長州へ渡す。
 資金のない長州は、武器代金を慢性的に米不足の薩摩へ米(コメ)で支払う。
 これで三者の利益が見事に成立するのだ。〔中略〕
 長州・薩摩間の米の輸送、その他の薩長間の往来、薩長とグラバー商会との遣り取りを担当したのが、阪本龍馬率いる「亀山社中」である。〔中略〕
 龍馬は、グラバー商会の下請け業者として薩摩・長州にとっても必要な存在となったのである。〔中略〕

【小生comment】
 本書は、以上の話の他、戦国時代の日本の戦争に於ける「人狩り」から始まる。
 戦国時代は、戦争の都度人狩りが行われ、夥しい日本人が当時日本に遣って来た奴隷商人の南蛮人(=ポルトガル人)の手を介して東南アジアへ売られていった、という shocking なことを教えてくれた。
 こう言った南蛮人に拠る日本侵略を企図から、蘭v.s.英の東インド会社と東アジア侵略の歴史話に発展。
 延いては、江戸時代を通じて、鎖国から開国に進んで行った日本は、江戸幕府の優秀な technocrat に拠る賢明な活躍に拠って、欧米列強の植民地支配を防いだのだという結論に達している。
 そして、次の言葉で締め括っている。

 司馬遼太郎氏さえ言う通り、明治と言う時代は江戸期の、即ち、徳川の遺産で成り立っていたと言える。
 現実に、non-career組を含めた(明治)新政府官僚の6~7割は幕臣又は幕府時代の藩吏であった。
 そうでなければ、政府・行政を機能させることが出来なかったのである。
 列強の侵略を免れたことについては、天は徳川 technocrat 達の、武家としての覚悟を見捨てなかったと思いたい。(了)

[28]原田伊織『官賊と幕臣たち~列強の日本侵略を防いだ徳川technocrat~』
 28technocrat

【後記】明日07月30日夜は、小生の大学弓道部時代のミニ同窓会を、【2637の会/クラス会】会場となる Try Again にて開催する。
 この歳になると、学生時代の友人達との語らいがホント楽しいひとときだと実感する。
 此処で、明日の大学弓道部ミニ同窓会と、08月20日の【2637の会/クラス会】の盛会を祈って創った拙句連作をお披露目してお別れしたい。

 夏の夜に 想い出嵩む 同窓会  悟空

 待ち遠し 時習の集い 秋立ちぬ  悟空

 ではまた‥。(了)

2016年7月22日 (金)

【時習26回3-7の会 0610】~「【2637の会/クラス会】08月20日(土)に決定!」「07月17日:豊橋市美術博物館『アンドリュー・ワイエス 水彩・素描』展を見て」「カール・シュミット著(田中浩/原田武雄訳)『政治的なものの概念(1932年版/1963年版)』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0610】号をお送りします。
 さて、07月03日(日)の朝『往復葉書』に拠るアンケートを配信して以来、今日07月22(金)17時00分現在 21人の皆さんから回答を頂戴しました。
 【2637の会】全 classmates の半数近い皆さんから response があり、勝手幹事として大変嬉しく思います
 前会報迄にお伝えした19人の皆さん以降は、牧野M孝君、峯田H幸君のお二人からアンケートの回答を頂戴しました。
 アンケートにご協力下さった牧野君、峯田君、有難うございます。

 そして、掲題・副題の冒頭にある様に、今夏08月の【2637の会/クラス会】の開催日を08月20日(土)に決定させて頂きます
 決定理由は以下の通りです
 以下に記したアンケート結果にある様に、08月20日(土)の参加予定者は、「○」9人+「△」2人=11人と最も多い状況にあります
 一方、20(土)に続くのは、08月06日(土)(「○」7人+「△」2人)と、08月13日(土)(「○」5人+「△」4人)の 9人です
 「○+△」合算で、首位20日(土) 11人と、2位groupの06日(土)&13日(土) 9人とは 2人の開きがあります
 「○」単独でも、首位20日(土) 9人に対して、2位06日(土) 7人と こちらも 2人の開きがあります
 まだ熟慮中の方々を考慮しても、過去のクラス会参加状況等勘案、首位と2位groupの2人の差を覆す可能性は極めて低いと思われます

 今後の対応と致しましては、以下の2点の確認を順次して参りたいと思います
 1.20日(土)が「△」である、彦坂君と山中さんのお二人が「○」となるかどうか?
 2.20日(土)は「✖」で、20日以外に「○」「△」を希望されていた、ニ橋君、伊東君、金子(哲)君、太田君のお三方の、20日(土)への参加が可能かどうか?
 又、08月20日(土)に参加表明を頂戴している、菰田君、石田(Y)君、林さん、伊庭さん、千賀君、小久保君、牧野君、峯田君、宜しく!
 伊庭さんは10年振りのクラス会への参加、小久保君は、卒業以来だから42年振りの再会になるのかな?
 彦坂君、山中さん、是非参加して下さい
 伊東君、金子(哲)君、太田君、日程調整が可能であれば、是非参加して下さい
 今回は「✖」の回答を下さった、渡辺さん、下浦さん、山田君、中山君、中村君、犬飼さん、もし都合がよくなられたら参加して下さい
 又、現在熟慮中の皆さんからの朗報もお待ちしていますので、気軽に連絡を下さい

=候 補 日=06=11=13=14=20
01.菰田K己=✖=✖=✖=✖=○
02.石田Y博=✖=○=○=✖=○
03.渡辺S美=✖=✖=✖=✖=✖
04.林K子□=○=○=○=○=○
05.下浦Y子=✖=✖=✖=✖=✖
06.山中K子=△=△=△=△=△
07.彦坂T孔=△=✖=✖=✖=△
08.山田K義=✖=✖=✖=✖=✖
09.伊庭R恵=○=✖=✖=✖=○
10.中山Y敬=✖=✖=✖=✖=✖
11.中村H章=✖=✖=✖=✖=✖
12.二橋Y彦=✖=△=✖=✖=✖
14.伊東M弘=✖=○=△=○=✖
15.金子T久=○=✖=△=△=✖
16.犬飼R子=✖=✖=✖=✖=✖
17.太田M宏=✖=✖=△=△=✖
18.千賀S始=◯=✖=○=○=○
19.小久保K=◯=△=✖=✖=○
20.牧野M孝=○=○=○=○=○
L4月より名古屋市青少年宿泊センターに勤務となりました
 夏休み中は前日営業なので休日の曜日は決まっていませんが、この候補日はどれも大丈夫です
21.峯田H幸=✖=✖=✖=✖=○
L20日はOKです
22.今泉悟□=○=○=○=○=○
 ※○計※ =07=05=05=05=09
 ※△計※ =02=03=04=03=02
 [◯+△] =09=08=09=08=11
 ※✖計※ =13=14=13=14=11
〔到着順、一部姓名略、敬称略〕

■さて今日の話題は、掲題・副題にあります様に、07月17日(日)に地元の豊橋市美術博物館『アンドリュー・ワイエス 水彩・素描』展」を見て来たのでその模様を順次お伝えする。
 本展は、埼玉県朝霞市にある「丸沼芸術の森」が所有する20世紀米国を代表する画家 Andrew Wyeth(1917-2009)の水彩画と素描115点を紹介する企画展。
 本展で紹介される作品群は、米国北東部 New England地方6州の一つで最北東端のメイン州(State of Maine)の海岸沿いの街 ノックス郡(Knox Country) クッシング(Cushing)が舞台。
 1939年夏、Cushingに住む Christina Olson とAlvaro Olson という姉弟との30年に及ぶ親交が始まる。
 Wyeth(当時22歳)にChristinaとAlvaroを紹介したのが、その2年後に伴侶となるベッツィ・マール・ジェイムズ(当時17歳)。
 先ずは、添付写真の絵15点をご覧になってWyeth の美の世界を堪能して下さい。
 猶、[08]同『幽霊(The Revenant)』だけは本展の展示作品ではない。〔為念〕

[01]本展leaflet
 01leaflet

[02]New England 6州とMaine州 Cushing〔赤丸の中〕
 02new_england_6maine_cushing

[03]Andrew Wyeth『オルソンの家(Olson House)』1966年
 03wyetholson_house1966

[04]同『入江から見たオルソンの家(Olson House from the Cove)』1940年
 04wyetholson_house_from_the_cove194

[05]同『表戸の階段に座るアルヴァロ(Alvaro on Front Doorstep)』1942年
 05wyethalvaro_on_front_doorstep1942

[06]同『アルヴァロの馬(Alvaro's Horse)』19年
 06wyethalvaros_horse19

[07]同『《海からの風》習作(Study for Wind from the Sea)』1947年
 07wyethstudy_for_wind_from_the_sea1

[08]同『階段と表戸(Stairway and Front Door)』1948年
 08wyethstairway_and_front_door1948

[09]同『幽霊(The Revenant)』1949年
 09wyeththe_revenant1949

[10]同『《幽霊》習作(Study for The Revenant)』1949年
 10wyethstudy_for_the_revenant1949

[11]同『オルソン家の表戸(Olson's Front Door)』1954年
 11wyetholsons_front_door1954

[12]同『オルソン家の納屋の燕(Swallows in Olson's Barn)』1953年
 12wyethswallows_in_olsons_barn1953

[13]同『オルソン家の納屋の内部(Interior of Olson's Barn)』1957年
 13wyethinterior_of_olsons_barn1957

[14]同『《青い計量器》習作(Study for Blue Measure)』1959年
 14wyethstudy_for_blue_measure1959

[15]同『穀物袋(Grain Bag)』1961年
 15wyethgrain_bag1961

[16]同『オルソン家の納屋の干し草置き場(Hayloft in Olson's Barn)』1966年
 16wyethhayloft_in_olsons_barn1966

[17]同『《オルソン家の終焉》習作(Study for End of Olsons)』1969年
 17wyethstudy_for_end_of_olsons1969

【小生comment】
 Andrew Wyeth の絵は、何処か荒涼とした雰囲気が漂う作品が多いが、何処か、同じ米国人画家の Edward Hopper(1882-1967)を思わせる雰囲気がある。
 そう思って絵を見ていたら、矢張りWyeth 自身がHopperを尊敬していたと解説に書いてあった。
 その Hopper が描いた灯台は、Maine州の最大の街 ポートランド(City of Portland)近くのElizabeth岬にある。
 以上は、余談‥。

■続いて今日最後にお届けする話題は、前《会報》に引き続きカール・シュミット(Carl Schmitt(1888-1985))著(田中浩/原田武雄訳)『政治神学(1922年(初版)/1934年(第二版))』を続けて読んだのでご紹介したい。
 本文自体は、訳文多くの注書を加えても102頁と短いが、ジックリ腰を据えて読まないと理解し難い処がある。
 其処で、今回は本書の末尾に、役者田中浩氏の解説「カール・シュミットの『友・敵』理論」から引用して本書についてご紹介する。

[18]カール・シュミット著(田中浩/原田武雄訳)『政治的なものの概念(1932年版/1963年版)』
 1819321963

1 カール・シュミットは、戦前の日本では、Nazisの御用理論家として、つとに喧伝された政治学者である。〔中略〕(P.105)
 現代は、「民主主義の危機」、「近代国家の危機」、「議会主義の危機」の時代とも言われる。
 しかし、これらの危機意識は、何も今に始まったことではなく、19世紀後半以来、既に多くの思想家や社会学者達に拠って、再三再四指摘されて来た。
 社会主義、共産主義、anarchism、fascism、社会民主主義等々が、かかる現代社会の危機の回避策=救済策として登場。〔中略〕
 シュミットは、19世紀~20世紀にかけての政治・法・経済・社会思想等に関して、多方面に亘る研究を行い、民主主義の危機の原因を巡る諸問題を追求。
 彼が最後に到達した危機回避の処方箋=fascism の立場には賛成出来ないにしても、彼の<政治の概念><憲法論><独裁論><国家論><議会主義論><法学的思惟についての考察><19世紀思想の批判的分析>を通じての自由主義的民主主義批判の作業は、極めて論争的・挑戦的性格を持つものであり、且つ fascism 理論の精神原理を理解する上での反面教師的役割を果たすものとして、〔中略〕検討するに十分に値する。〔中略〕(P.106)
2 戦後日本に於いては〔中略〕市民革命期のHobbes以降の英米系の民主主義理論が急速に導入された。〔中略〕
 この英米系の政治哲学は、「徹底した個人主義」〔中略〕であって、個人や集団が、国家=全体に優先するのであって、国家に対する忠誠如何は〔中略〕国家がどの程度個人や集団の利益を充足しているかに拠って決定される(P.114-115)
 この個人主義は、合理的・理性的・民主的な rule や制度を目指すが、諸々の矛盾が一挙に噴出する様な「例外状況」や「緊迫事態」を想定していない弱点を持つ。(P.116-117)
 例外状況に於いては、既存のあらゆる民主的な慣行・rule、適法なる手続きは、次々に無視され破壊されていく。
 その最も極端な例が、「戦争」の時期であり、「戦争」こそ、権力把持者が、自己の権力を強化集中する絶好の機会なのである。〔中略〕(P.117)
 戦前の日本やWeimar体制下のドイツに於いて、反動的・保守的理論家達は、漸く芽生えつつあった個人主義・民主主義・議会主義等々に対して、社会主義者顔負けの厳しい批判・攻撃を加え、危機の回避策=救済策として、全体主義・超国家主義・fascism 等々を対置させた。〔中略〕(P.117-118)
3 本書に於いて、シュミットが意図したことは、自由主義的国家観や議会主義等々の、英米系の民主主義理論を批判し、強力なる国家の復権を図ることにあった、と思われる。(P.120)〔中略〕
 シュミットは、「政治的なもの」の究極的な識別徴標を、「友か敵か」即ち「友・敵(Feind und Freund)関係」として捉える。〔中略〕
 その最も典型的な例が、国際間に於ける「戦争」。〔中略〕(P.121)
 国家=主権者は、国家の敵を決定出来なくてはならない。
 自由主義的な多元主義に於いては、国家の敵を決定出来ない。
 シュミットの「友・敵」理論は、こうして、Weimar共和体制下の自由主義的国家間や議会主義に対して、秩序の把持者、秩序の決定者としての国家の優位の理論を導出し、結果的には、Weimar共和体制の思想的・制度的基盤を掘り崩す役割を果たすことになるのである。(P.123-124)
4 シュミットが、政治の本質を「友・敵」関係でで捉えたことは、それ自体極めて興味ある問題である。(P.124)
 何故なら、19世紀中葉以降の資本主義対共産主義という状況の出現に際し、マルクス、レーニン、ホー・チ・ミン、毛沢東等、革命の指導者は全て、「敵は誰か」ということをその革命論の基礎に置いていたからである。〔中略〕(P.126)

【小生comment】
 カール・シュミットが本書を書いたのは1927年。
 その6年後の1933年、『国家・運動・国民』という著書で、シュミットはWeimar共和体制を否定し、Nazisを明確に支持、国家の敵を共産主義と述べた。
 このNazisを率いたHitlerが、どの様に結果を導出したかは、歴史が証明している。
 何をかいわんや、である。

【後記】【2637の会/クラス会】にまだアンケートを出されて居ない方へ
 クラス会の開催日は08月20日(土) 18時00分~ と決まりましたが、参加者は受け付けています。
 奮ってご参加下さい。
 朗報をお待ちしています!

 ではまた‥。(了)

2016年7月16日 (土)

【時習26回3-7の会 0609】~「07月10日:静岡市美術館『大観・靭彦・龍子らと修善寺』展を見て」「同左:静岡県立美術館『ディック・ブルーナに学ぶModern Artの楽しみ方/France版画collectionよりジャック・カロ、ウジェーヌ・イザベイ、ミレーらを中心に』展を見て」「同左:秋野不矩美術館『秋野不矩の奇石Ⅱ~ふるさとの風景』展を見て」「カール・シュミット著(田中浩/原田武雄訳)『政治神学(1922年(初版)/1934年(第二版))』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0609】号をお送りします。
 さて、07月03日(日)の朝『往復葉書』に拠るアンケートを配信して以来、今日07月16(土)18時00分現在 18人の皆さんから回答を頂戴しました。
 前会報迄にお伝えした12人の皆さん以降、伊東M弘君君、金子T久君、犬飼R子さん、太田M宏君、千賀S始君、小久K和明君の6人の皆さんからアンケートの回答を頂戴しました。
 アンケートにご協力下さった皆さん、有難うございます。
 会場の準備の関係からなるべく早いうちにアンケートの回答を郵送頂ければ幸いです。

=候 補 日=06=11=13=14=20
01.菰田K己=✖=✖=✖=✖=○
02.石田Y博=✖=○=○=✖=○
03.渡辺S美=✖=✖=✖=✖=✖
04.林K子◻️=○=○=○=○=○
05.下浦Y子=✖=✖=✖=✖=✖
06.山中K子=△=△=△=△=△
07.彦坂T孔=△=✖=✖=✖=△
08.山田K義=✖=✖=✖=✖=✖
09.伊庭R恵=○=✖=✖=✖=○
10.中山Y敬=✖=✖=✖=✖=✖
11.中村H章=✖=✖=✖=✖=✖
12.二橋Y彦=✖=△=✖=✖=✖
13.伊東M弘=✖=○=△=○=✖
Lいつもありがとうございます/ご返事が遅くなりました
 上記のとおりです
14.金子T久=○=✖=△=△=✖
Lご無沙汰しています/生来の筆不精ゆえに連絡が遅れましたが昨年帰任しました
 何か忙しい日を送っています
15.犬飼R子=✖=✖=✖=✖=✖
L最近、実家へ帰る回数がめっきり増えました
16.太田M宏=✖=✖=△=△=✖
Lハイキング、トレッキングを始めました
17.千賀S始=◯=✖=○=○=○
L新しい事業を始めたので、時間はないが◎◎(=□□)は有り余っています
18.小久保K=○=△=✖=✖=○
L退職して週4日+半日バイト感覚で仕事をしています/「ボケ防止」かな?
 時間的にも余裕ができ、趣味を増やせたらと思っている処です
19.今泉悟※=○=○=○=○=○
 ※○計※ =06=04=04=04=08
 ※△計※ =02=03=04=03=02
 [◯+△] =08=07=08=07=10
 ※✖計※ =11=12=11=12=09
〔到着順、一部姓名略、敬称略〕

■さて今日の話題は、掲題・副題にあります様に、07月10日(日)に自家用車で静岡市美術館『大観・靭彦・龍子らと修善寺』展、静岡県立美術館『ディック・ブルーナに学ぶModern Artの楽しみ方/France版画collectionよりジャック・カロ、ウジェーヌ・イザベイ、ミレーらを中心に』展、そして浜松市天竜区にある秋野不矩美術館『秋野不矩の軌跡Ⅱ~ふるさとの風景』展と3つの美術館を巡って来たのでその模様を順次お伝えする。

【静岡市美術館『大観・靭彦・龍子らと修善寺』展】
 本展の出品作品は、いずれも伊豆市所蔵の日本画である。
 平成16年04月、修善寺・土肥・天城湯ヶ島・中伊豆の4町が合併して伊豆市が誕生した。
 その伊豆市が所蔵する日本画は、相原家(旧修善寺町)、石井家(沼津市)、川端家(東京)から旧修善寺町に寄贈されたもの。
 作品は、横山大観を筆頭に日本美術院・再興日本美術院の画家達が、明治30年代から大正初期にかけて「紅児会」というgroupを結成した頃のものが主体。
 中でも、修善寺の新井旅館の3代目主人相原寛太郎氏((1875-1945)号:天城(てんじょう)→沐芳(もくほう))が蒐集した作品が大半。
 沐芳氏は、明治08年駿東郡大平村(現沼津市)に生まれ、東京で勉学を収めた後、修善寺温泉で旅館業(「新井旅館」)を営む相原家の婿となり3代目主人となった。
 氏は、自ら若い頃画家を志したこともあり、若手画家のよき理解者として彼等を支援した。
 中でも、安田靭彦との親交は特に深いことが、所蔵点数の多さからも伺える。
 添付写真の絵をご覧頂ければお解り頂けると思うが、本展は明治・大正・昭和の日本画壇を支えた泰斗達がまだ若かりし頃の力作ばかりである。
 本展は、日本画の名画の数々を確り堪能出来た素晴らしい展覧会であった。

[01]本展leaflet
 01leaflet

[02]安田靭彦(1884-1978)『相原沐芳(=寛太郎)像』1951年
 02188419781951

[03]横山大観(1868-1958)『叭叭鳥』1917年
 03186819581917

[04]菱田春草(1874-1911)『秋郊帰牧』1909年
 04187419111909

[05]今村紫紅(1880-1916)『鴛鴦』1909年頃
 05188019161909

[06]小林古径(1883-1957)『重盛』1911年
 06188319571911

[07]安田靭彦(1884-1978)『上宮太子』1912年頃
 07188419781912

[08]石井林響(1884-1930)『弘法大師』1908年
 08188419301908

[09]広瀬長江(1884-1917)『若衆と娘』明治末~大正初
 0918841917

[10]前田青邨(1885-1977)『燈籠大臣』明治末
 1018851977

[11]川端龍子(1885-1966)『湯浴(湯治)』1927年
 11188519661927

【静岡県立美術館『ディック・ブルーナに学ぶModern Artの楽しみ方/France版画collectionよりジャック・カロ、ウジェーヌ・イザベイ、ミレーらを中心に』展】
 オランダ(Holland)のGraphic Designer Dick Bruna (1927.08.23- )は、本名を Hendrik Magdalenus Brunaという。
 彼が生みだした代表的なcharacterが現在も世界中で人気の絵本の主人公が「英:ミッフィー(Miffy)」「日本:うさこちゃん」。
 因みに、彼の本国Hollandでは、「ナインチェ・プラウス(Nijntje Pluis))」というのだそうだ。
 実は、この絵本の中に、『うさこちゃん、びじゅつかんへいく』という作品がある。
 この作品では、うさこちゃんが両親と一緒に初めて美術館を訪れ、驚いたり、感心したり、多くの体験を重ねる。
 この物語を通じて、Dick Bruna は Modern Art との楽しい触れ合い方を教えてくれている。
 本展は、この物語を実体験して貰おうという試みの企画展であった。
 館内にはうさこちゃんが一杯あり華やいだ雰囲気に満ちていた。
 小さな子供をつれた家族連れの見学者が多くいたが、Modern Art をどの様に感じて見ていたのだろう?
 その場の雰囲気をご覧戴こうと思い、展示作品のpostcardを探してみた。
 しかし、Museum Shop には販売されてなかったので紹介出来ない。
 残念である。

 常設展では「France版画collectionよりジャック・カロ(Jacques Callot(1592-1635))、ウジェーヌ・イザベイ(Eugene Isabey(1803-86))、ジャン=フランソワ・ミレー(Jean=Francois Millet(1814-75))らを中心に」が開催されていた。
 本展では、以上のFranceの3著名画家の他、France Barbizon派の画家として知られるシャルル=フランソワ・ドービニー(Charles-Francois Daubigny(1817-78))の作品や、Daubigny より先輩で途中からBarbizon派に加わったジャン=バティスト・カミ―ユ・コロ―(Jean=Baptiste Camille Corot(1796-1875))の版画が沢山展示されていた。
 版画は、いずれも銅版画なので、色彩的には白黒の monotone で地味さは拭えなかったのが、少し残念。

[12]静岡県立美術館入口付近の看板
 12

[13]本企画展leaflete
 13leaflete_3

[14]本所蔵品展leaflet
 14leaflet

【秋野不矩美術館『秋野不矩の軌跡Ⅱ~ふるさとの風景』展】
 本展は、当美術館が所蔵する秋野不矩作品の展覧会。
 今年度は、『秋野芸術の軌跡Ⅰ~Ⅴ』の5回開催され、本展はその第2回目の企画。
 添付写真は、本展展示作品のpostcardである。
 以下に彼女の《略歴》を記す。

《略歴》
1908(明治41)年 7月25日 静岡県磐田郡二俣町城山(現・浜松市天竜区二俣町)に生まれる(本名 ふく)
1927(昭和02)年 石井林響(千葉県在住(1884-1930))に師事
1929(昭和04)年 西山翠嶂(すいしょう/京都市在住(1879-1958)に師事し「青甲社」入塾
1936(昭和11)年 文展鑑査展:『砂上』「選奨」受賞
1938(昭和13)年 第02回新文展:『紅裳』特選受賞
1948(昭和23)年 上村松篁、広田多津、吉岡堅ニ、山本丘人、福田豊四郎らと共に日展を離れ『創造美術』を結成
1949(昭和24)年 京都市立美術専門学校助教授に就任
1951(昭和26)年 『少年群像』:第1回上村松園賞受賞/「創造美術」と「新制作派協会」が合流し「新制作協会日本画部」に
1962(昭和37)年 India シャンチニケータンのビスバ-バラティ大学(現・タゴール国際大学)客員教授に招聘され1年間滞在
        Indiaは秋野の絵画主題の主要部分となる(以後計14回Indiaを訪問)
1966(昭和41)年 京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)教授就任
1974(昭和49)年 「新制作協会」から日本画部が退会し『創画会』結成、会員に/京都市立芸術大学美術学部退官、名誉教授に
1978(昭和53)年 京都市文化功労者表彰
1981(昭和56)年 京都府美術工芸功労者表彰
1983(昭和58)年 天竜市(現・浜松市)名誉市民
1991(平成03)年 文化功労者顕彰
1998(平成10)年 天竜市立(現・浜松市)秋野不矩美術館開館
1999(平成11)年 文化勲章受章。
2001(平成13)年 10月11日 逝去(享年93歳)

[15]秋野不矩美術館入口の看板
 15

[16]秋野不矩美術館外観
 16

[17]秋野不矩 絵本原画『かみながひめ』1970年
 17_1970

[18]同『Afghanistan風景』1972年
 18afghanistan1972

[19]同『三菩薩像』1986年
 191986

[20]同『土の家(A)』1987年
 201987

[21]同『オリッサの寺院(部分)』1998年
 211998

【小生comment】
 秋野不矩は、ご覧頂いた《略歴》の通り、日本画家として輝かしい足跡を残した。
 しかし、彼女の一生を眺めてみると、「人の一生は『縁』が大きく影響を与え」ていると痛感する。
 彼女の場合その『縁』とは、最初に師事した石井林響が病気で倒れ、已むなくだと思うが「京都画壇の西山翠嶂に師事したこと」が先ずその第一。
 このことが、西山翠嶂の私塾「青甲社」での先輩上村松篁(1902-2001)との出会いを生み、1948年 彼等と共に秋野は『創画会』の創立memberに参画。
 その『創画会』への参加が、旧来の日本画の画法から西洋絵画の手法を採用する等、彼女の画法に大きな発展を齎した。
 又、嘗て(1993- )西山が学校長を務めた京都市美術専門学校(現・京都市立芸術大学)で彼女は1949年以降ずっと教鞭をとることになる。
 そして、1962年以降の度重なる訪問となった「Indiaとの出会い」が、第二の「縁」。
 この「Indiaとの出会い」が、「Indiaを題材にした日本画を描く秋野不矩」という彼女のoriginalityを世の中に確りと知らしめた。
 そして、このことが彼女の日本画壇での立ち位置を不動なものとしたと言って過言でない。

■続いて今日最後にお届けする話題は、前《会報》に引き続きカール・シュミット(Carl Schmitt(1888-1985))著(田中浩/原田武雄訳)『政治神学(1922年(初版)/1934年(第二版))』を続けて読んだのでご紹介したい。

[22]カール・シュミット著(田中浩/原田武雄訳)『政治神学(1922年(初版)/1934年(第二版))』
 2219221934

 第二版のまえがき(P.07)
  一 主権の定義(P.11)
  ニ 法の形式および決定の問題としてのの主権の問題(P.24)
  三 政治神学(P.49)
  四 反革命の国家哲学について(P.69)
    ― ドゥ・メ―ストル、ボナール、ドノソ・コルテス ―

 本書は、上記indexで構成され、以下の様に定義されている。
 1.主権の定義:「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう」(P.11)
 3.政治神学:「現代国家理論の重要概念は、すべて世俗化された神学概念である」(P.49)

 多分に理屈っぽい文章なので、小生も実際本書をよく理解出来ていないが、本書の訳者 田中浩氏が「本書」巻末に「神話」と「独裁」の政治理論と題して説明してくれているので、その一部をご紹介しよう。

 そもそも主権問題は、いつの時代でも革命・内戦・著しい政治的不安定という例外状況に於いて登場する。
 Schmittが好んで引き合いに出す決定主義の代表的思想家、近代に於ける主権論の大成者ホッブズ(Thomas Hobbes(1588-1679))が、主著『リヴァイアサン(Leviathan)』(1651年)を執筆したPuritan革命前夜のEnglandでは、正に、例外的状況や緊急事態に於いて、「誰が決定するか」という問題を巡って、国王と議会の間で、主権論争が華々しく展開されていたのである。
 Englandに於いても、平穏無事の時代には、大権を持つ国王と特権を持つ議会とが協同統治を行う、という伝統的な調和的な制度観を維持出来た限り、主権問題は表面化しなかった。
 しかし、17世紀に入って、国王がその権力を拡大する為に、国の防衛という緊急事態=例外状況に於いては、「承諾なければ課税なし」という通常の原則を無視出来るという主張を提起したことに拠って、Englandに於いて、初めて、「国の主権者は誰か」という決着を迫られることになったのである。
 こういう政治状況を目前にして、Hobbesは、内乱の真の原因はEnglandに於いて主権が欠如していることにあったとして、主権理論の構築を試みたのである。
 従って、Schumittの「主権者とは例外状況にかんして決定をくだす者」という、『政治神学』(=本書)冒頭の余りにも有名な言葉は、国家や主権問題の本質を正しく捉えていたものであり、且つそれは、例外状況を考察の対象から排除する18、19世紀のブルジョア(bourgeois)的法治国家思想や、決定を回避し討議に擦り替える議会主義に対する挑戦を意味していたのである。(P.194-195)

 Schmittは、既に1923年段階に於いて、今後のドイツの進むべき道を暗示している。(P.203)
 彼は、『現代議会主義の精神史的地位』の末尾に於いて、レーニン(Lenin(1870-1924))の指導したRussia革命の成功は、単なる、国際的(international)な「階級闘争の神話」だけに拠るものではなく、民族的(national)な要素を強く持った「民族的神話」が加味されたものとして評価している。
 続けて更に、彼は、かかる「民族的神話」が真に「階級的神話」を凌駕した例として、最近Italiaで起こったfascism革命に触れて次の様に述べている。
 「Rome への進軍を前にして、1922年10月、Napoliで行った有名な演説に於いて、ムッソリーニ(Benito Mussolini(1883-1945))は次の様に述べている。『我々は、一つの神話を創り出した。この神話は信念であり、気高き情熱であり、それは何ら現実たることを要しない。それは衝動であり、希望であり、信念であり、勇気である。我々の神話は、民族であり、我々が具体的に現実化しようと欲する偉大な民族である』と。
 この同じ演説に於いて、彼は、社会主義をより低次の神学と呼んでいる。
 ‥この例の精神史的意義は、Italiaの土地に於ける民族的な情熱が、是迄民主主義的ないし議会主義的=立憲主義的な伝統を持っていたこと、Anglo-Saxon的自由主義のIdeologieに全く支配されていたことの故に、特に大である。」(P.204)
 そして、最後に、Schmittは、「神話の理論は、議会主義的思想の総体的な合理主義がその論拠を喪失したことを示す最も力強き表現であり」現代に於いては、「議会主義かしからずんば何か、という反問を繰り返して主張する時代は去った」として、彼の議会主義批判を結んでいるのである。
 こうして、Schmittは「民族的神話」と指導者原理に拠る「独裁」、安定した権威に拠る「全体国家」の確立の為の理論的正当化への道を掃き清める上で、大きな役割を果したのである。(P.205)

【小生comment】
 彼の本を読んでいると、「民主主義とは何か?」ということを考えさせられて仕舞う。

【後記】本《会報》の冒頭でお願いした、今夏8月の【2637の会/クラス会】アンケートの返信、まだ熟慮中の皆さんからの朗報をお待ちしています。
 ではまた‥。(了)

2016年7月10日 (日)

2016年7月 9日 (土)

【時習26回3-7の会 0608】~「07月01日:愛知県芸術劇場concert hall『レナード・スラットキン指揮/France国立リヨン管弦楽団』演奏会を聴いて」「07月03日:桑山美術館『カワイイ!日本画』展を見て」「07月03日:愛知県芸術劇場concert hall『英国ロイヤル・バレエ団/Prokofiev「ロミオとジュリエット」(全3幕)』を鑑賞して」「カール・シュミット著(樋口陽一訳)『現代議会主義の精神史的状況(1923年) 他一篇』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0608】号をお送りします。
 さて、07月03日(日)の朝『往復葉書』に拠るアンケートを、そして翌07月04日(月)朝「今夏08月【2637の会/クラス会】日程選定アンケート経過報告〔その2〕」を配信させて頂きました。
 Mail にてアンケートの回答を下さった7人の皆さん以降、山田K義君、伊庭R○子さん、中山Y敬君、中村H章君、二橋Y彦君の5人の皆さんから頂戴しました。
 累計で12人の皆さんから回答を頂戴しました。
 アンケートにご協力下さった皆さん、有難うございます。
 現状、08月20日(土)が「○5人+△2人=○△7人」と一歩 lead しています。
 会場の準備の関係からなるべく早いうちにアンケートの回答を郵送頂ければ幸いです。

=候補日 ==06=11=13=14=20
01.菰田Y己=✖=✖=✖=✖=○
02.石田Y博=✖=○=○=✖=○
03.渡辺S○=✖=✖=✖=✖=✖
04.林K子◻️=○=○=○=○=○
05.下浦Y子=✖=✖=✖=✖=✖
06.山中K子=△=△=△=△=△
07.彦坂T孔=△=✖=✖=✖=△
Lお久しぶりです。クラス会の件ですが、8月の予定はまだ立っておりません
 今のところ以下のとおりです/往復葉書の郵送は「不要」
 よろしくお願いします。
08.山田K義=✖=✖=✖=✖=✖
09.伊庭R○=○=✖=✖=✖=○
L毎年計画していただきながら参加できずに残念です
 6日or20日になりましたら参加させていただきたいと思います
 小さな畑でイチジクとミカンをつくっています
10中山Y敬=✖=✖=✖=✖=✖
L申し訳ありませんが、今回も欠席とさせて下さい
11.中村H章=✖=✖=✖=✖=✖
L教育現場に今も足を突っ込んでいます
12.二橋Y彦=✖=△=✖=✖=✖
L毎度ご苦労様です/9月30日付で無事定年を迎える予定です
 再雇用制度利用してその儘勤めますので何も変わりません
13.今泉悟※=○=○=○=○=○
 ※○計※=03=03=03=02=05
 ※△計※=02=02=01=01=02
 ※✖計※=08=08=09=10=06
〔到着順、一部姓名略、敬称略〕

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、07月01日:愛知県芸術劇場concert hall『レナード・スラットキン(Leonard Slatkin(1944- ))指揮/France国立リヨン管弦楽団(Orchestre national de Lyon)』演奏会の模様である。
 France国立Lyon管弦楽団は、1905年 ジョルジュ・マルタン・ヴィトコフスキが創設した「Lyon・大concert協会」。
 その後、クリュイタンス、ミュンシュ、パレ―、モントゥー等の指揮者の巨匠達に拠ってこの楽団の輝かしい伝統の礎が築かれた。
 そして、1969年 マルセル・ランドフスキがLyon市の指導の下、ローヌ=アルプ・フィルハーモニーO.」が発足。
 初代音楽監督にルイ・フレモ―が就任(1969-71)。
 1983年 Lyon歌劇場O.の誕生を機に、現名称「France国立Lyon O.(略称ONL)」に改称。
 2011年09月より、音楽監督はL. Slatkinが務めている。
 本演奏会の曲目は以下の3曲とencore 2曲。

1. Johannes Brahms (1833-97) / 悲劇的序曲(Tragic Overture) Op.81
2. Max Bruch (1838-1920) / Violin Concerto No.1 in g minor Op.26
(Vn.)ルノー・カプソン(Renaud Capucon(1976- ))
Jules E. F. Massenet (1843-1912) / タイスの瞑想曲(Meditation from Thais)
3. Modest Mussorgsky (1839-81) / Arrange ; Maurice Ravel (1875-1937) Pictures at an Exhibition(「展覧会の絵」)
[1] Jacques Offenbach (1819-80) / 歌劇「ホフマン物語」
     ~ホフマンの舟歌(Opera Barcarolle from "Les Contes d'Hoffmann" )
     [2] Slatkin / "twist cancan" from Opera Bouffe "Orphee aux Enfers (地獄のオルフェ「(or)天国と地獄」)")

[01]本演奏会leaflet
 01leaflet

[02] Leonard Slatkin にsignをして貰った本演奏会program と CDの解説書
 02_leonard_slatkin_signprogram_cd

【小生comment】
 指揮者 Leonard Slatkin は米国Los Angeles生まれの米国人。
 米国は勿論、独・仏の曲も得意とする名指揮者である。
 本演奏会の後、programやCD購入者には Slatkin自身からsignが貰えるということでsignして貰ったのが添付写真[02]。
 本演奏会の作品は、Brahms(独)、Bruch(独)、Massenet(仏)、Musssorgsky(露)(Ravel(仏))、Offenbach(本名:Jakob Levy Eberst(エーベルスト))(独→仏)と主に独仏が中心だがいずれも良かった。
 中でも出色は、「展覧会の絵」だろう。
 原曲はMusssorgskyだが、Ravelの見事なorchestration に拠り彼のoriginal作品の様にFrance化され、煌びやかな「展覧会の絵」をSlatkinとONLは披露してくれた。
 至福の2時間であった。

■続いては、07月03日:桑山美術館『カワイイ!日本画~可愛らしさのツボを探ろう~』展についてである。
 この日は、13時30分から愛知県芸術劇場大ホールにて演奏会があるので、その前に面白そうな絵画の企画展を見て置こうとして選んだのがこの桑山美術館。
 当館は、地下鉄鶴舞線「川名駅」下車、東へ徒歩7~8分と所にある。
 今回が2回目の訪問である。
 本展では、著名な25人の日本画家に作品29点と、主に昭和期に作成された香合5点が展示されていた。
 今日は上記29点の日本画の名画から、販売されていた postcard 5枚をご紹介する。

[03]桑山美術館入口と本企画展案内看板
 03

[04]橋本関雪(1883-1945)『月下狸之図』1935年頃
 04188319451935

[05]同『崖上双猿図』1938年頃
 051938

[06]堂本印象(1891-1975)『花兎』制作年不詳
 0618911975

[07]福田平八郎(1892-1974)『鮎』1955年頃
 07189219741955

[08]加山又造(1927-2004)『猫』1975年頃
 08192720041975

【小生comment】
 今日ご紹介した作品5点は、対象の小動物と魚をいずれも極めて精緻に描いていて「流石は日本画の泰斗達だ!」と感動した。
 本展では、他にも傑作が沢山展示されていたが、紹介出来なくて残念である。
 なかでも、寺島紫明(1892-1975)と中尾淳(1917-2008)のいずれも『舞妓』(2作品共に制作年不詳)が可憐で素晴らしかった。

■続いての話題は、07月03日:愛知県技術劇場concert hall『英国ロイヤル・バレエ団(THE ROYAL BALLET)/Prokofiev「ロミオとジュリエット(ROMEO & JULIET)」(全3幕)』についてである。
 本公演は、20分間✖2回の休憩を入れて、13時00分~16時30分迄の3時間半に及ぶ大作。
 この Prokofiev の "ROMEO & JULIET" は、Classic Ballet の中でも、「Story」「音楽」「Balletの演出」の三拍子揃った20世紀を代表する、いや20世紀最高傑作のBalletだと言っても過言ないだろう。
 今回の振付は、このTHE ROYAL BALLETが 1965年に初演したケネス・マクミラン(Kenneth MacMillan(1929-92))版であった。
 Kenneth McMillan版初演の5年後の1970年、K. McMillanは THE ROYAL BALLET芸術監督に就任、1977年迄務めた。
 余談となるが‥、因みに小生は、従前よりパリ・オペラ座・バレエ(Le Ballet de l'Opera National de Paris)1995年版を愛蔵している。
 このパリ・オペラ座・バレエの振付は、ケネス・マクミラン版の初演を演技したルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev(1938-1993))自身が振付したヌレエフ版。
 その Nureyev が25歳だった1963年、当時引退が囁かれていた往年の prima ballerina デイム・マーゴ・フォンテイン(Dame Margot Fonteyn de Arias(1919-91)(当時44歳))とアダン(Adolphe Adam(1803-56))『ジゼル(Giselle)』で共演し、大成功を収める。
 この大成功に拠り、Margot Fonteyn は見事に prima ballerina 復活を果たした。
 以後、Nureyev と Fonteyn 二人のpartnershipは10年以上に及んだ。
 特に、Prokofiev(1891-1953)『ロミオ&ジュリエット(Romeo & Juliet)』は著名で、映像化された。

[09]"Romeo & Juliet" rehearsal中の Nureyev とFonteyn (1964年)
 09romeo_juliet_rehearsal_nureyev_fo

 だからという訳ではないが、小生はヌレエフ版の方が好きだ。
 Juliet 役のサラ・ラム(Sarah Lamb)と Romeo 役のスティーブン・マックレー(StevenMcRae)の演技は素晴らしかった。
 彼等二人に拠る 第一幕 第5場【庭園】での Pas de deux(パ・ド・ドゥ=「二人のstep」) は感動的な scene だった。

[10]本公演leaflet(表面)
 10leaflet

[11]同(裏面)
 11

[12]左上:英国Royal Ballet団芸術監督 Kevin O'Hare/右上:音楽監督&指揮 Koen Kessels/左下:ROMEO;Steven McRae/右下:JULIET;Sarah Lamb
 12royal_ballet_kevin_ohare_koen_kes

[13]左上:マキューシオ Alexander Campbell/右上:ティボルト Gary Avis/左下:ベンヴォ―リオ Tristan Dyer/右下:パリス 平野亮一
 13_alexander_campbell_gary_avis_tri

[14]左上:Capulet公 Christopher Saunders/右上:Capulet夫人 Elizabeth McGorian/左下:ロザライン Claire Calvert/右下:乳母 Kristen McNally
 14capulet_christopher_saunderscapul

■続いて今日最後にお届けする話題は、最近読んだ、カール・シュミット(Carl Schmitt(1888-1985))著(樋口陽一訳)『現代議会主義の精神史的状況(1923年) 他一篇(=「議会主義と現代の大衆民主主義との対立」(1926))』についてである。

[15]カール・シュミット著(樋口陽一訳)『現代議会主義の精神史的状況(1923年) 他一篇』
 151923

【現代議会主義の精神史的状況】(1923年)
 序 言/(P.09)
 第一章/民主主義と議会主義(P.15)
 第ニ章/議会主義の緒原理(P.33)
 第三章/マルクス主義の思考に於ける独裁(P.63)
 第四章/直接的暴力行使の非合理主義理論(P.87)

【議会主義と現代の大衆民主主義との対立】(1926年)
 第一章/議会主義(P.125)
 第ニ章/民主主義(P.155)

【カール・シュミットの略歴】
1888年 独Westfalen地方のプレッテンベルクでCatholicの家に生まれた
    Berlin大学、Munich大学、Strasbourg大学等で学ぶ
1916年 Der Wert des Staates und die Bedeutung des Einzelnen(『国家の価値と個人の意義』)で教授資格取得
    ボン大学、Berlin商科大学、Cologne大学で教授を歴任
   第一次大戦後のワイマール(Weimar)政権下、議会制民主主義、自由主義を批判
1933年 Berlin大学教授(~1945年)
    ナチス(Nazis)政権成立の1933年から Nazis に協力、Nazis の法学理論を支えた
    が、Nazis政権成立前の1932年 著書『合法性と正統性』にて、共産主義者と国家社会主義者を内部の敵として批判
    更に、ユダヤ(Judea)人で内務大臣を務めたフーゴー・プロイス(Hugo Preuss(1860-1925))を称賛したこと等に拠り1936年失脚
    第二次世界大戦後逮捕され、ニュルンベルク(Nuremberg)裁判で尋問されるも不起訴に
    以後、故郷プレッテンベルクに隠棲しつつ著述活動は続けたを続けた
1985年 死去(享年96歳)

 何故、本書を読んだかというと、前《会報》でご紹介した、水野和夫著『過剰な資本の末路と、大転換の未来』の中で、水野氏が【シュミットの慧眼】と題して、Carl Schumitt が「1926年の段階で、現代の姿を言い当てている(P.54)」と述べたことに触発されたからだ。
 早速、Carl Schmitt の本を数冊入手して、手始めに一番分量の少ない【現代議会主義の精神史的状況】(1923年)と【議会主義と現代の大衆民主主義との対立】(1926年)を読んでみた。

 本書を読んだ感想を一言すれば、「Carl Schmitt が生きたWeimar共和国時代の議会政治の行き詰りが、現代日本政治によく似ている」ということ。

 Schmitt が言う「大衆民主主義」は、現代のポピュリズム(populism)に通じる。
 彼は【議会主義と現代の大衆民主主義との対立】の中でこう述べている。
 あらゆる人間の人間としての平等は、民主主義ではなくて、特定の種類の自由主義であり、国家形態ではなくて、個人主義的・人間的な道徳及び世界観である。
 現代の大衆民主主義は、これらの両者の不明瞭な結合に基づいている。(P.147)
 今日(【小生注】=1926年当時)、一般の考え方は、議会主義を、ボルシェヴィズム(Bolshevism)とファシズム(Facism)の中間にあって両側から脅かされているとみている。
 これは、平明だが外面的な分類である。議会主義の運営と議会主義的な諸装置の困難さは、実は、現代大衆民主主義の状態から生まれている。
 現代の大衆民主主義は、先ず以て、民主主義そのものの危機に導く。
 それは民主主義に必要な実質的平等と同質性の問題が普遍的な人間の平等に拠っては解決され得ないからである。
 更に、現代の大衆民主主義は、民主主義の危機とは区別されて然るべき議会主義の危機に導く。(P.150-151)

 Schmitt は、更に、大衆民主主義の諸問題を解決する方法として、大衆が支持する強力な「独裁」という統治方式に導く。
 まぁ、これがSchmitt がファシズムを支持した根底になるのであるが、彼の目指した「独裁」とは、古代ローマのカエサル(Caesar)やアウグストゥス(Augustus)、France第一帝政全盛時代のナポレオン(Napoleon Bonaparte)の様な良い意味での強力な leadership だったのではなかろうか?

【小生comment】
 Carl Schmitt は、Nazisの御用学者として有名な為、第二次世界大戦後は不遇な後半生を送った。
 が「ニ十世紀のHobbes」と称される彼の政治思想は押並べてreasonableで解り易い。
 これからもっと再評価されて然るべきであるし、きっと注目されていくものと思料する。
 彼の著作『政治的なものの概念』『政治神学』『パルチザンの理論』『独裁』も入手したのでこれ等も順次読んで行きたい。

【後記】07月03日の午前09時50分頃、地下鉄川名駅を降り、桑山美術館へ行く道すがらでの一風景を詠み乍らお別れしたいと思います。

【前書】
 梅雨の季節の中で暫し薄日が差す日曜日の午前中
 川名公園に接する道端にピンク色の可憐な昼顔の花が咲いていた‥

  昼顔や 緑に映える 道の端 悟空

[16]名古屋市地下鉄鶴舞線「川名」駅至近の川名公園沿いの道端に可憐に咲いていたヒルガオ
 16

 本《会報》の冒頭でお願いした、今夏8月の【2637の会/クラス会】アンケートの返信、早目にお願い出来たら幸甚です。
 ではまた‥。(了)

2016年7月 1日 (金)

【時習26回3-7の会 0607】~「06月25日:メナード美術館『版画と彫刻collection‥表現×個性‥』展を見て」「06月25日:名都美術館『道〔祈り・暮らし・人生〕』展を見て」「06月25日:愛知県技術劇場concert hall『山田和樹指揮/バーミンガム市交響楽団(The City of Birmingham S.O.)』演奏会を聴いて」「水野和男『過剰な資本の末路と、大転換の未来』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も【時習26回3-7の会 0607】号をお送りします。
 さて、今週初06月27日に今夏08月の【2637の会/クラス会】開催日選定に向けてのアンケートのmailを配信しましたが検討戴いてますでしょうか?
 現状、菰田君・石田(Y)君・渡辺さん・林(K)さん、の計4人の皆さんから返信を頂戴しています。
 明日と明後日で往復葉書でのアンケートを作成郵送での発送を致しますので、mailでの返信にご協力頂ける方は明後日の昼頃迄に返信して下さい。
 ○か✖か迷っている場合は、△で結構ですから、ご協力頂けたら幸いです。
 今夏08月の【2637の会/クラス会】の開催日選定に向けてのアンケート宜しくお願いします。
 猶、三氏のcommentは、趣旨を違えない程度に小生の判断で一部を省略しました。〔為念〕

 ※候補日=06=11=13=14=20
1.菰田K己=✖=✖=✖=✖=○
 L菰田です
  参加可否連絡します/宜しくお願いします
2.石田Y博=✖=○=○=✖=○
 Lいつもメールと幹事のお仕事有難うございます
 ご連絡をいただくのになかなか参加できなくて申し訳ありません
 私の都合を送らせていただきます
3.渡辺S○=✖=✖=✖=✖=✖
 Lブログはスマホで読ませて貰ってます。600回超えたんですね〔中略〕
  愛知には7月に行こうと思っていますので、残念ですが8月には行けません
  もし日が決まって、私の都合がついたら行くかもしれませんが‥〔中略〕
  皆さんに宜しくお伝え下さい
4.林K子※=○=○=○=○=○
 L候補日は全て○です/又往復葉書も不要です
  宜しくお願いいたします
5.今泉悟※=○=○=○=○=○
 ※○計※=02=03=03=02=04
 ※△計※=00=00=00=00=00
 ※✖計※=03=02=02=03=01
〔到着順、一部姓名略、敬称略〕

[01]鈴木亜由子(左)と関根花観(右)
 01

 猶、上記添付写真[01]は、Rio de Janeiro五輪への出場が決まった鈴木亜由子さんと関根花観さん。
 先週末06月24日(金)夜、名古屋市バロマ瑞穂stadium(旧・瑞穂陸上競技場)にて「第100回日本陸上競技選手権大会」の初日が開催され、我等が母校時習62回生の鈴木亜由子さん(日本郵政)が女子1万m決勝で優勝(31分18秒)、26日に行われた女子5千mも2位に入り、両種目共に今夏開催されるBrazil・Rio de Janeiro五輪への出場が決まった。
 彼女は、小学校・中学校・高校・大学とすべて小生の後輩になるので、この同窓生後輩の快挙に凄く気分がいい。
 添付写真で彼女(写真左側)と一緒に写っている、関根花観(同右側)さんも1万mで2位に入り、Rio de Janeiro五輪への出場が決まったが、彼女も地元 豊川高校出身だ。
 東三河出身である二人の Rio de Janeiro五輪での活躍を期待している。

■さて今日最初の話題は、掲題・副題にあります様に、06月25日:メナード美術館『版画と彫刻collection‥表現×個性‥』展についてである。
 本展は、メナード美術館所蔵の版画と彫刻作品の中から「表現&個性」をkey word に選んだ作品展。
 本展leaflet(添付写真[02])にある、長谷川潔『時 静物画』と同じく『狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)』、ヘンリー・ムーア『母と子(直立)』は、今回の企画展が初公開となる。
 長谷川潔の略歴は以下の通り。

《略歴》
1891(明治24)年 12月9日 現・横浜市西区に、第一銀行員長谷川一彦・欣子の長男として出生
1898(明治31)年 横浜市戸部小学校に入学
1902(明治35)年 父の転勤に伴い大阪に転居
1903(明治36)年 04月父死去に拠り東京に転居/鞆絵高等小学校に転校
1909(明治42)年 11月母死去
1910(明治43)年 麻布中学校卒業
1911(明治44)年 菱橋洋画研究所にて黒田清輝に素描を習い始める
1912(明治45)年 本郷洋画研究所にも通い、岡田三郎助&藤島武二から油絵の指導を受ける
        この頃より自画自刻の木版画制作を始める/大森に転居
1913(大正02)年 文学同人誌『聖盃(のち『假面』に改題)』4月号より永瀬義郎と共に表紙絵・挿絵を手掛ける
        銅版画を制作、書物の装丁を始める
1914(大正03)年 短歌雑誌『水甕』5月号より表紙絵を手掛ける
1916(大正05)年 11月永瀬義郎、広島晃甫(新太郎)と共に我国初の版画家団体「日本版画倶楽部」を結成
        創作版画展を開催

※ 若くして両親を亡くした長谷川であったが、友人達には恵まれた。
 1912年から渡仏する1918年迄住んだ東京・大森(1916年05月からは大田区山王)には長谷川とほぼ同世代の新進気鋭の若い芸術家達が集った。
 詩人:北原白秋(1885-1942)、萩原朔太郎(1886-1942)、思想家・美学者:柳宗悦(むねよし(1889-1961))、美術史家:田中喜作(1885-1945)、洋画家:梅原龍三郎(1888-1986)、画家・詩人:竹久夢二(1884-1934)、日本画家:小林古径(1883-1957)、陶芸家:富本憲吉(1886-1963)、小説家:芥川龍之介(1892-1927)、音楽評論家・Pianist:大田黒元雄(1893-1979)という錚々たる芸術家達である。
 なかでも深い親交を結んだのが、詩人・英文学者:日夏耿之助(ひなつこうのすけ(1890-1971))と詩人・歌人・仏文学者:堀口大學(1892-1981)である。
 日夏は、長谷川が挿絵を担当した雑誌『假面』の同人。
 父親が外交官で外国暮らしが長い堀口は、1917年大森の望翠楼ホテルで開催されていた展覧会で長谷川の木版画『赤い月』を買い求めたことが、生涯に亘る交友の始まりだった。〔以上、猿渡紀代子『長谷川潔 芸術のひみつ』より一部引用〕

1918(大正07)年 12月横浜港より米国経由でFranceへ
1919(大正08)年 04月France Le Havre(ル・アーヴル)港着/翌日Paris着
        05月のち妻となるミシュリ―ヌ・ビアンキ(1893-1982)と出会う
        1922年迄、南仏に滞在(その間、ItalyやBretagneに旅行)
1922(大正11)年 06月Paris18区モンカルム通り7番地に転居
1924(大正13)年 ラウル・デュフィ(1877-1953)の勧めでソシエテ・デ・バンドル・グラヴール・アンデパンダン(独立画家・版画家協会)に入会
1925(大正14)年 Mezzotint(マニエール・ノワール(黒の技法))の風景画を発表し、France画壇で認められる
1928(昭和03)年 France創作木版画協会会員及び日本の「春陽会」会員になる
1931(昭和06)年 日本版画協会創立会員
1935(昭和10)年 France政府からレジオン・ドヌール勲章を受章
1939(昭和14)年 第二次世界大戦勃発/12月サルト県の斎藤豊作邸シャトー・ド・ヴェヌヴェルに疎開
1943(昭和18)年 ミシェリーヌ・M・ビアンキと結婚
1945(昭和20)年 06月残留邦人としてParis中央監獄、ドランシー収容所に収監/知人有力者の尽力により翌月釈放
1964(昭和39)年 France学士院芸術Academy コレスポンダン会員に選出
1966(昭和41)年 France文化勲章を受章
1967(昭和42)年 Paris市よりParis市金賞牌を、日本政府より勲三等瑞宝章を受章
1972(昭和47)年 France国立貨幣賞牌造幣局が長谷川潔の肖像medalを発行
        日本人画家としては、葛飾北斎、藤田嗣治に次いで3人目
1980(昭和55)年 06月京都国立近代美術館で大回顧展『銅版画の巨匠/長谷川潔展』開催
        12月13日ヴィラ・ス―ラの自宅にて死去(享年 満89歳)

[02]本展leaflet/絵:(左上)長谷川潔『時 静物画』・(右下)同『狐の葡萄』・(右上)ヘンリー・ムーア『母と子(直立)』1978年
 02leaflet_1978

[03](左上)1916年頃(25歳頃)/(右上)堀口大學(1892-1982)の肖像写真「わが友、潔へ‥ニコ‥1925年」/(左下)ラウル・デュフィ(1877-1953)(右)と/(右下)アンドレ・ドランと(1880-1954)(右)
 03191625189219821925187719531880195

[04]日本大使館での君三等瑞宝章授与式にて‥妻ミシュリーヌと(1968年)
 041968

[05]長谷川潔『マルキシャンヌの村(Village in Marquixanes)(ピレネー・オリヤンタル(Pyrenees Orientales))』1920年代後半~1930年代
 05village_in_marquixanespyrenees_or

[06]長谷川潔『白い花瓶に挿したコクリコその他(Red Poppy & Other Wild Flowers in a White Vase)』1949年
 06red_poppy_other_wild_flowers_in_a

[07]長谷川潔『狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)(Fox & Grapes(Fables of La Fontaine))』mezzotint 1963年
 07fox_grapesfables_of_la_fontaineme

[08]長谷川潔『時 静物画(Still Life/Time)』messotint 1969年
 08still_lifetimemessotint_1969

[09]棟方志功『釈迦十大弟子』1939年
 091939

【小生comment】
 本展で、注目したのは版画家、長谷川潔(1891-1980)。
 長谷川潔は、1918年12月27歳で渡仏して以来、1980年89歳で天寿を全うする迄の62年間、一度も故国日本に戻らなかった。
 彼の作品を一つひとつ丹念に見ていくと、鋭い感性と強い精神力を実感出来る。
 本展で、彼の作品を見て大好きになった。
 彼の作品の多くは、彼と彼の遺族の希望により、横浜美術館に、版画657点、水彩・素描・下絵1,350点、油彩画7点が収蔵されている。
 又、そんなに遠くない将来、大規模な回顧展が開催されることを期待している。

■続いては、メナード美術館を後にして訪れたのが、長久手市にある名都美術館。
 同館にて開催中の『道〔祈り・暮らし・人生〕』展についてある。
 本展は、名都美術館が所蔵する日本画22人の全39展で、人々が織り成す「祈り・暮らし・人生」を『道』と云う言葉でsymbolizeさせたcollection展。
 美人画の泰斗、伊藤小坡、伊東深水、上村松園、鏑木清方、菊池契月の作品、川合玉堂、髙山辰雄、橋本関雪、平川敏夫、平山郁夫、横山大観の風景画。
 村上華岳『観音立像図』・棟方志功『御慈悲観音菩薩尊図』の仏像図や、守屋多々志『若武者』・安田靭彦『相模太郎』の歴史人物図。
 いずれも素晴らしい展示作品だった。

[10]本展leaflet/右の写真:上村松園『人生の花』1899年
 10leaflet1899

[11]伊藤小坡『茶の湯』1933年頃
 111933

[12]上村松園『紅葉可里図』1914年頃
 121914

[13]鏑木清方『雪』制作年不詳
 13

[14]橋本関雪『春江新雪図』制作年不詳
 14

[15]平川敏夫『涛風雪韻』1991年
 151991

[16]棟方志功『御慈悲観音菩薩尊図』1945~55年代
 16194555

【小生comment】
 堀文子の作品は全6点と、最も出展数が多かった。
 なかでも『あんずの里に春が来る』&『山えの径』(‥添付写真[10]本展leaflet左端上から2つ目&3つ目の絵‥)なんかは大変charming。
 本展は、美人画の四泰斗(小坡・深水・松園・清方)をはじめ、総じて美しい絵が多く、心が癒される魅力的な展覧会だった。

■続いての話題は、2つの美術館巡りを終えて行ったのが、愛知県芸術劇場concert hallにて開催された、山田和樹(1979.01.26- )指揮 Birmingham市交響楽団(The City of Birmingham S.O.)演奏会である。
 演奏曲目は以下の3曲。
 Cellistはウィスペルウェイ(Wispelwey(蘭:1962- ))の演奏。

1. L.v. Beethoven(1770-1827) / Overture to"Egmont", Op.84
2. E. Elger(1857-1934) / Violoncello Concerto in e minor Op.85
(Vc.: Pieter Wispelwey)
《Encore》E. B. Britten(1913-76) / Cello Suite No.1, Op.72
~ 3.Ⅱ. Lamento: Lento rubato
3. J. Sibelius(1865-1957) / Symphony No.2 in D Major Op.43
《Encore》P. Tchaikovsky(1840-93) / Opera "Eugene Onegin", "Polonaise"

[17]本演奏会leaflet
 17leaflet

[18]山田和樹
 18

【小生comment】
 山田和樹氏は、1979年1月26日、神奈川県秦野市生まれで、現在満37歳。
 丁度、我等【2637の会】membersが卒業を1箇月先に控えた現役時代最後の三学期のことだ。
 山田氏は、幼い頃からPianoや合唱に親しむが、本格的に指揮者を目指したのは神奈川県立希望ヶ丘高三年在学中に吹奏楽部で指揮をしてからだという。
 東京芸術大学音楽学部指揮科で、指揮法を小林研一郎と松尾葉子に師事。
 彼を一躍有名にしたのは、2009年09月、若手指揮者の登竜門、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝したことである。
 山田氏は、1959年の小澤征爾以来7人目の日本人優勝者。
 そして、本(2016)年09月よりモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団(Orchestre Philharmonique de Monte-Carlo)の音楽監督兼芸術監督に就任予定。

 山田和樹氏指揮の演奏会は、丁度2年前の2014年07月05日、愛知県芸術劇場concert hallにて、2012年から彼が主席客演指揮者を務めているOrchestre de la Suisse Romande (略称:OSR)との演奏会以来である。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/26050707050705c.html ←2014.07.05《会報》【0507】ご参照

 本演奏会は、3曲とも山田氏の指揮ぶりの巧みさが光った質の高い演奏会だった。
 3曲目の、Finlandの巨匠 Sibeliusの代表作 Symphony No.2 は、昔からイギリスのorchestraも得意とする曲ではあるが、山田の指揮ぶりの卓越さが光った。
 実は小生、Sibelius の交響曲第2番には、学生時代の懐かしい思い出がある。
 昭和45年、中学三年の夏休み、豊橋市文化会館のrecord視聴室でカラヤン指揮フィルハ―モニアO.の演奏で初めて聴いて感動、一発で大好きになった。
 そして、それから三年後の昭和49年3月、大学入試の合格発表に出かける前に心を落ち着ける為にこの曲を聴き、そして合格‥。
 そんな小生にとっては一生ものの記念碑的名曲である。
 以上は余談‥。

 日本人指揮者では、この山田和樹と、度々紹介している佐渡裕が、きっと名実共に世界のTop Conductor になるだろう。
 そう思わせる程の立派な指揮ぶりであった。
 将来が楽しみで、又是非彼の指揮で名曲を鑑賞してみたいと思う。

■続いて今日最後にお届けする話題は、最近読んだ、水野和夫著『過剰な資本の末路と、大転換の未来』についてである。
 先ずは、以下に本書の章題を記す。

 第1章/先進国の過剰と途上国の欠乏(P.10)
 第2章/近代以降における合理主義の確立と限界(P.40)
 第3章/科学革命が引き起こした株式資本主義の誕生(P.64)
 第4章/なぜ先進国は集中的に富を得ることができたのか(P.80)
 第5章/白日のもとに露呈する近代の限界と矛盾(P.110)
 第6章/帝国のideologyであるglobalization (P.144)
 第7章/利益率の上昇に繋がらない21世紀の帝国(P.178)
 第8章/超低金利時代は成長が終わった証(P.202)
 
[19]水野和夫『過剰な資本の末路と、大転換の未来』
 19

【小生comment】
 水野氏が本書で説明していることをザックリ纏めてみると次の様になる。
〔第2章/‥「進歩」が肯定されたのは『近代』以降(P.48)〕
 近代国家が、成長して来たのは、17世紀初頭、Francis Bacon(1561-1626)が「進歩」という新しい概念を確立したことに始まる。
〔第3章/‥「科学革命」によと「進歩」が肯定される(P.70)
    /‥「経済」も無限の世界に対応する(P.75)〕
 Copernicus(1473-1543)とBacon、更にIsaac Newton(1642-1727)の登場で、「より遠く、より速く、より合理的に」という近代の考え方が確立された。(P.75)
 大航海時代に入り無限の空間の存在を入手し、Newtonのお蔭で時間も有限から無限になった。(P.75)
〔第4章/‥「生活」「経済」「国家」、全てが合理的になった『近代』(P.80)
    /‥「進歩」とは豊かさの追求である(P.81)
    /‥交易条件の改善が先進国の経済拡大を支えた(P.91)〕
 石油を安価に調達出来た近代国家が、「富(=付加価値)」の蓄積を具現化出来、先進国としての物質的「豊かさ」を享受出来た。
 その最後の船に乗船出来たのが我国日本。
 又、米国を中心に新たな『富』の源泉となる「電子・金融空間」を創出
〔第5章/‥実態経済を無視して肥大化する金融市場(P.114)
    /‥他国を貧乏にすることで発展した先進国経済(P.127)〕
〔第6章/‥拡大するほど収益が低下するのが経済の宿命(P.144)
    /‥いずれ利益率は下がっていく(P.151)〕
 覇権国は、オランダ→英国→米国と変遷する過程で、市場規模(=空間)を拡大する都度、利益率は一度は上昇するが、それもやがて低下していく。
 現在、その市場規模も拡大し切って仕舞い、投下すべき資本も投下すべき新たな先が見つからない状況にある。
〔第8章/‥金利ゼロとは市場が成長しない証拠(P.222)〕
 即ち、現在は、「成長が終わった」状態にある。
 ということは、成長しない時代に現在ある‥ということだ。
 では、未来はどうなるのだろう??(^^;;

【後記】小生の勤務先の株主総会が先週06月21日に開催され、Group会社を含めた4社全ての株主総会が終了したのが24日。
 加盟団体の定時総会も、大体06月末迄には終了して内心ホッととしている処である。
 添付写真は、今、拙宅の中庭に咲いている浅葱色の紫陽花の大輪花。
 この花を見ると、もう2年前になる『時習26回生卒業40周年記念懇親会&旅行 in 京都2014』のoptional tourで詠んだこの歌が浮かんで来た。

 紫陽花の浅葱が如き貴女かな 悟空

[20]拙宅中庭に咲いた紫陽花の大輪花
 20

 本《会報》の冒頭でお願いした、今夏8月の【2637の会/クラス会】アンケートの返信、早目にお願い出来たら幸甚です。
 ではまた‥。(了)

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