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2016年9月 8日 (木)

【時習26回3−7の会 0617】〜「08月27日:杉本美術館『動物のいる風景』展を見て」「松尾芭蕉『更科紀行』その2」「矢野久美子『ハンナ・アーレント ―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 ―』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日はいつもより早めですが【時習26回3−7の会 0617】号をお送りします。
 実は小生、明日09月09日(金)~11日(日) 仕事で広島への視察がある為、いつもより早目の《会報》up となりました。
 猶、この広島視察の模様は、次回《会報》【0618】号にてお伝えしますのでお楽しみに!

■さて、今日最初の話題は、掲題・副題にある様に、前回&前々回《会報》の2回連続でお伝えした様に、08月27日(土)に私用で名古屋に行った際訪ねた3つの美術館のうちの今回は最後の訪問地、知多郡美浜町にある杉本志美術館『動物のいる風景』展についてである。
 本企画展について、本展leafletから一部引用してご紹介する。

 杉本健吉は、海外での sketch を纏めた画集の中で、「Exoticな景色は勿論ですが、それと猶、ロバや羊、牛、猫、犬なんでも動物が人間の世界に入って、まるで同位置にある様なのがたまらない魅力でありました」と記している。
 正に人間と「同位置」にある動物たちを堪らない魅力だと感じ、様々な姿で描いた。
 この心情は、奈良の遊ぶ鹿、愛犬だったビーグル(beagle)犬「トム」、絵本の挿絵等々の写生に生き生きと描かれている。
 今回は、この様な杉本健の生き物への情愛から生まれた、ほのぼのとした作品を紹介する。

[01]杉本美術館入口
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[02]本展leaflet
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[03]杉本健吉『大和歩き』2000年
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[04]同『西ノ京(薬師寺塔)』1960年
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[05]同『牡丹園のトム』1986年
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[06]同『牡丹とトム』1983年
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[07]同『ひまわり(トム)』1987年
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[08]同『春庭・トム』1988年
 081988

【小生comment】
 本展leafletで紹介している通り、杉本の風景画には、犬や猫等が、或る時は自然に、或る時は意図ある様に登場して、単純な風景画とは一寸違った雰囲気で見る者をその絵画の世界に誘ってくれる。
 添付写真の絵で言うと、[03]『大和歩き』や[04]『西ノ京(薬師寺塔)』に描かれている「猫」がそれである。
 又、愛犬「トム」を見ていると、杉本健吉の愛犬への温かな情愛が確りと伝わって来る。

■続いては、前《会報》から始まった松尾芭蕉『更科紀行』の「その2」についてである。ご覧下さい。

《原文》
 夜は草の枕(注1)を求(もとめ)て、昼のうち思ひまうけ(注2)たるけしき、むすび捨(すて)たる發句(ほっく)など、矢立(やたて)(注3)取出(とりいで)て、燈(ともしび)の下(もと)にめをとぢ頭(かしら)たゝきてうめき伏せば、かの道心(だうしん)の坊、旅懐(りよくわい)の心うくて物おもひするにやと推量し、我を慰(なぐさめ(ん))とす。
 わかき時拝(を)がみめぐり(注4)たる地(ち)、あみだのたふとき、数をつくし、を(=お)のがあやしとおもひし事共(ことども)(注5)、はなしつゞくるぞ、風情のさはりとなりて何を伝(いひ)出(いづ)る事もせず。
 とても(注6)まぎれたる月影の、かべの破れより木(こ)の間(ま)がくれ(注7)にさし入(いれ)て、引板(ひた)(注8)の音(おと)、しかおふ声(こゑ)、所ゝにきこへ(=え)ける。
 誠にかなしき秋の心(注9)、爰(ここ)に盡(つく)せり。

《現代語訳》
 その夜は仮の宿を求めて、昼のうちに心に留めて置いた景色や、作り捨てて置いた発句等を、キチンとした作品にしようと矢立を取り出して灯火の下に目を閉じ頭を叩いて苦吟していると、例の乞食行脚の僧が、私が旅の辛さに沈み込んでいるものとあて推量して、私を慰めようとする。
 若い時巡礼した土地や、阿弥陀如来の尊さ等を数々と話し、自分が体験した興味深い多くの事を話し続けるので、これが風情の邪魔となって全く句が出来きずに終わった。
 どうせ風情は失われて仕舞ったので、今更名月を見ても良い句は出来ないのだが、それでも月の光が壁の破れから木の間を漏れて差し込んで来て、山田の引板がの鹿を追う音が其処此処から聞こえて来たのだった。
 実に哀切なる秋の風情、此処に極まる感がある。

《語句》
(注1)草の枕:仮の宿
(注2)思ひもうける:心にとどめる
(注3)矢立:携帯用の墨壺付き筆入
(注4)をがみめぐる:巡礼する
(注5)をのがあやしとおもひし事共:自分が体験した興味深い奇異雑談の類
(注6)とても:どうせ/といっても
(注7)木の間がくれ:木の間を漏れて/「木の間より洩りくる月のかげ見せば心づくしの秋は来にけり」(古今集)
(注8)引板:ひた/田に来た鳥を追い払うための鳴子/「庵(いほ)に洩(も)る月の影こそさびしけれ山田は引板(ひた)の音ばかりして」
(注9)かなしき秋の心:「月みれば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里)など

《原文》
「いでや(注1)月のあるじ(注2)に酒振(ふる)まはん」といへば、さかづき持(もち)出(いで)たり。
 よのつねに一(ひと)めぐり(注3)もおほきに見えて、ふつゝかなる蒔絵(まきゑ)(注4)をしたり。
 都の人はかゝるものは風情なしとて、手にもふれざりけるに、おもひもかけぬ興に入(いり)て、[王偏に靑]碗(せいわん)(注5)玉巵(ぎよくし)(注6)の心ちせらるも所がらなり。

  あの中に蒔絵書(かき)たし宿の月

《現代語訳》
 「さあ月見のご馳走にお酒をどうぞ!」と言うと、盃を持ち出して来た。
 一般的な盃よりも一回り大きく見えて、無風流な蒔絵が施してある。
 都の人はこんなものは風情が無いと手にも触れないだろうが、私には思いの他趣(おもむき)深く感じられ、「碧碗玉壺」の如く思われるのも、こんな山中迄旅すればこそである。

 【意】盃の中に宿から見えるあの名月に蒔絵を書きたいものだ
 〔季語〕「月」‥秋

《語句》
(注1)いでや:さあ
(注2)月のあるじ:「月の様な「月がこの宿の主人(あるじ)の如く」‥と解することも出来る/「ご馳走」
(注3)一めぐり:一まわり
(注4)蒔絵:漆地に金銀の粉や箔、貝などを置いて描く絵模様
(注5)[王偏に靑]碗:この字はない‥芭蕉の記憶違いか?/「青碗」「碧碗」「清碗」等を指しているものと思料
(注6)玉巵:玉壷とも

【小生comment】
 『更科紀行』は、散文に拠る本文は以上で終わり、あとは俳句が12句記されて終わる。
 矢張り、『奥の細道』は勿論、『笈の小文』と比べても、いま一つの出来栄えである。

■今日最後の話題は、前《会報》にて予告し、この4日間で300頁余りを読に終えた、「ハンナ・アーレント著/大久保和郎・大島かおり訳『全体主義の起源3/全体主義』についてご紹したかったのであるが、本書の中身が高度で濃すぎた為、読解能力に乏しい小生はこの一週間では読破出来なかったのである。
 其処で、急遽、中公新書の「矢野久美子『ハンナ・アーレント ―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 ―』を読み、その概略についてご紹介させて戴くことに変更した。
 ご容赦賜りたい。
 以下に、著者紹介、続いて本書indexを記す。
 猶、index では本書の概要を解り易くする為に、「◆→・」以下に本文の一部を引用し補足した。

 著者 矢野久美子(1964- )氏:東京外国語大学大学院博士後期課程修了/「ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所」で博士(学術)
 フェリス女学院大学国際交流学部教授

第1章/哲学と詩への目覚め 1906-33年
 Ⅰ 子供時代 ‥〔P.004〕
   父の死と祖父の支え/ケーニヒスベルクのユダヤ人/反ユダヤ主義的風潮のなかで/
   母の教えとその姿勢/哲学を学ぶことを決意/母の再婚と親友たち
 Ⅱ マールブルク(Marburg)とハイデルベルク(Heidelberg)での学生生活 ‥〔P.022〕
   ハイデガー(Heideggerの)とその弟子たち/
   秘められた恋〔P.26〕
 ◆→・1925年 Arendt は18歳。Heideggerは彼女より17歳年上で妻と二人の息子がいた。〔中略〕
    Marburg(大学)の魔術師、Charisma的教師であったHeideggerの求愛を受け入れた。〔中略〕
    (人口23千人の)小さな街Marburgでの二人の関係はHeideggerの妻エルフリーデの耳に入った。〔中略〕
    Heideggerは『存在と時間』の執筆に集中していく。
    1926年01月、Arendtは次学期からMarburgを去ることをHeideggerに伝えた。
    Marburg大学で学んだのは3学期間、即ち1年半だった。/
   ヤスパース(Jaspers)のもとへ〔P.29〕
 ◆→・1926年夏学期から、Arendt は Heidelberg大学に転学する。
    1929年「Augustinusにおける愛の概念」というthemeで博士論文を発表する迄の彼女の指導を引き受けたのは Karl Jaspers だった。
    彼は、当時 Heideggerの盟友で、精神病理学専門の医学博士で、Heidelberg大学の哲学科に心理学という分野から参入、哲学に転じた。
   博士論文「アウグスティヌス(Augustinusu(354-430))における愛の概念」
  ※ 2015年09月06日付【時習26回3-7の会0564】
  ※ http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/260564150829-ci.html /
   ブルーメンフェルト(Kurt Blumenfeld(1884-1963))との出会い
 Ⅲ Nazi前夜 ‥〔P.36〕
   ギュンター・シュテルンとの結婚/Academismの枠に収まらない問題意識/
   ラーエル・ファルンハーゲンという女性/忍び寄るNaziの影
第2章/亡命の時代 1933-41年
 Ⅰ Paris ‥〔P.047〕
   旅券なしの出国/ユダヤ人としての仕事/Parisの亡命者たち/ブリュッヒャー/
   ベンヤミン(Walter Bendix S. Benjamin(1892-1940))「ブレヒト(Brecht(18989-1956))の詩への註釈」/亡命者と友情
 Ⅱ 収容所体験とベンヤミンとの別れ ‥〔P.065〕
   第二次世界大戦勃発/ギュルス収容所/ベンヤミンとの最後の日々/文書の壁
第3章/New Yorkのユダヤ人難民 1941-51年 ‥〔P.075〕
 Ⅰ 難民として ‥〔P.076〕
   米国到着/生きる為の英語習得/家族夫々の苦労/論争的essayistの誕生/
   『アウフバウ』への寄稿
 Ⅱ 人類に対する犯罪 ‥〔P.088〕
   「アウシュヴィッツ(Auschwitz)』の衝撃/人間に拠る人間の無用化/
   パーリア(pariah(=賤民))としてのユダヤ人/ドイツの敗戦/友人たちの消息/
   雑誌『ヴァンドルング』の創刊
 Ⅲ『全体主義の起源』‥〔P.103〕
   成り立ちと構造/反ユダヤ主義/帝国主義/
   全体主義〔P.112〕
 ◆→・全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。〔中略〕
    全ての行為は無意味になる。
    強制収容所に送られた人間は、家族・友人と引き離され、市民権を奪われた。
    自分が行ったことと見に起こることの間には何の関連性もない。〔中略〕
    行為は一切無意味になる。
    Arendt はこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。
    法的人格が破壊された後には、道徳的人格が虐殺される。
    Gas室や粛清は忘却のsystem に組み込まれ、死や記憶が無名で無意味なものとなる。〔中略〕
    更には、肉体的かつ精神的あ極限状態に於いて、夫々の人間の特異性が破壊される。
    個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊になる、とArendt は書いた。
    自発性は予測不可能な人間の能力として「全体支配の『最大の障碍』」となる。
    独裁や専制と違って、全体的支配は全てが可能であると自負し、人間の本性を変え人間そのものへの全体支配を遂行した。
    「不可能なことが可能にされた時、それは罰することも赦すことも出来ない絶対の悪となった」のである。〔P.113〕
    Arendt は全体主義下で遂行された「人類に対する犯罪」を人間の『複数性』に対する犯罪であると看做した。〔中略〕
    Arendt は Nazism や Stalinism の終焉後も生き残り得る「全体主義的な解決法」(複数の抹消)に対して警告を発し続けたのであった。〔P.115〕
第4章/1950年代の日々 ‥〔P.117〕
 Ⅰ Europa再訪 ‥〔P.118〕
   知識人夫々の選択/帰郷/ハイデカーとの再会/
   シュテルンベルガーとの応酬/「IdeologieとTerror」
 Ⅱ 米国での友人たち ‥〔P.130〕
   New Yorkの仲間/沖仲仕の哲学者ホッファー/「砂漠の中のoasis」
 Ⅲ『人間の条件』‥〔P.141〕
   成立の背景/労働・仕事・活動/公的なものと社会的なもの
第5章/世界への義務 ‥〔P.153〕
 Ⅰ 米国社会 ‥〔P.154〕
   世界疎外/リトルロック事件(Little Rock Nine/1957年/Arkansas州)/「教育の危機」
 Ⅱ レッシングをとおして ‥〔P.164〕
   『現代政治思想の疑わしい伝統在庫品』/高まるドイツでの評価/
   レッシング賞受賞/ユダヤ人であること/政治の現代形を認識すること
 Ⅲ アイヒマン(Eichmann)論争 ‥〔P.180〕
   アイヒマン裁判/『JerusalemのEichmann(Karl Adolf(1906-62))』
  ※ 2015年08月23日付【時習26回3-7の会0562】
  ※ http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/26-056208152637.html /
   友人たちのと絶縁
第6章/思考と政治 ‥〔P.191〕
 Ⅰ「論争」以後 ‥〔P.192〕
   避難の嵐のなかで/彼女を支持した人びと/ヤスパースに拠る励まし/
   さらなる理解の為に/「独裁制のもとでの個人の責任」/ラジオ・テレビへの出演
 Ⅱ 暗い時代 ‥〔P.205〕
   ケネディ(Kennedy(John F.(1917-63)))とロンカッリの死/真理と政治/死者との交わり
 Ⅲ「はじまり」を残して ‥〔P.217〕
   精神の生活/満足を与える生き方/思考と活動

[09]矢野久美子『ハンナ・アーレント ―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 ―』
 09

【小生comment】
 本書は、20世紀を代表する政治哲学者 Hannah Arendt の生涯とその主要著作について、非常に簡潔に解り易く説明してくれている。
 著者 矢野氏が あとがき で次の様に述べている。
 「2012年には、ドイツのマルガレ―テ・フォン・トロック監督に拠る映画『ハンナ・アーレント』が公開され、2013年には日本でも大きな注目を集めた。
  Arendt の著書は殆ど日本語に翻訳されているが、難解なtextが広範な読者を得ているとは言い難い。
  映画公開迄 Arendt の名を知る人はそれ程多くなかっただろう。
  処が、Eichmann 論争と思考する女性に焦点を絞ったこの映画は、多くの人々の共感を得たのである。
  この映画の力に率直に感銘すると共に、研究者の端くれとして、自分は Arendt の言葉と人々との橋渡しが出来ているのだろうか、と責任を感じる。」
 小生も、この映画を見て、Arendt の著作に興味を持ち、初めて読み出した一人である。

 Arendtが、Franceから脱出し、当時中立国だったPortugalの首都Lisbonから米国へ脱出する処など、場所こそ違え、映画『カサブランカ』を彷彿とさせる。
 収容所から偽の証明書で脱出し、visaを取得して無事米国へ脱出出来る処など、彼女の実力と運の強さを実感させられる。
 『全体主義の起源』をはじめとする名著の数々は米国時代に書かれたものが多い。
 これも彼女に定められた運命が齎した所産であると言っていい。
 最後に本書の「まえがき」で矢野氏が Arendt の略歴について紹介しているので、一部を引用してお伝えする。

 著者 Hannah Arendt は20世紀を代表する政治哲学者。
 彼女は1906年ドイツの中流のユダヤ人家庭に生まれ、1975年New Yorkで渉外を終えた。
 少女時代から文学や哲学に親しみ、大学では哲学を専攻。
 師は、一時期恋愛関係にもなったMargin Heidegger(1889-1976)、続いて彼女の博士論文を教授したKarl Theodor Jaspers(1883-1969)の二人。
 1933年Nazi 支配下のドイツからParisへと亡命し、其処でユダヤ人の青少年やドイツ占領地域からの避難民の救出に携わった。
 第二次世界大戦勃発後には数ヶ月間Franceの収容所に送られたが脱出し、米国へ渡る。
 以後、時事問題や政治的・哲学的問題につちえ書き続けた。
 1951年『全体主義の起源』、1958年『人間の条件』、1963年『革命について』・『Jerusalemのアイヒマン』等が代表作。

 彼女の文章は、明晰な頭脳に裏打ちされた論理展開が極めて高度な為、決して平明ではないが、凄く勉強になる。
 次回《会報》で『パーリアとしてのユダヤ人』、次いで『全体主義の起源/第三部 全体主義』、『人間の条件』の順でご紹介したいと思っている。

【後記】08月27日、知多郡美浜町にある杉本美術館の近くに『恋の水神社』という粋な名前の神社がある。
 その名前につられて立ち寄ってみた。
 小さな神社であるが、複数のcoupleが参詣に訪れていた。
 明るい水色の鳥居と赤地に白抜きで『恋の水神社』の幟旗(のぼりばた)‥
 その幟旗が秋風にはためいていた‥恋の訪れを知らせるかの様に

 秋風に 幟はためく 恋の水  悟空

[10]恋の水神社入口
 10

 ではまた‥。(了)


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