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2016年9月25日 (日)

【時習26回3−7の会 0619】〜「09月09日:ひろしま美術館『Collection展/France近代美術』を見て」「松尾芭蕉『更科紀行』その3(最終回)」「09月15~19日:『中&北九州旅行〔前編=初日〕』実施報告」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 前《会報》【0618】号を配信(2016年09月13日)してからあっという間に12日経ちました。

■さて、今日最初の話題は、前《会報》にてお伝えした広島視察会の初日に見たひろしま美術館の『Collection展/France近代美術』の模様である。
 ひろしま美術館が所有するFrance近代絵画の質の高さに正直吃驚した。

[01]ひろしま美術館『Collection展/France近代美術』会場入口
 01collectionfrance

 これは是非皆さんにも知って頂きたいと思い、29点の絵画と1点の彫刻の全30点をご紹介する。
 France絵画界ロマン派Delacroixからビュッフェ迄の傑作を添付写真でご覧下さい。
 ワクワク・ゾクゾクすること間違いなしです。

[02]Delacroix(1798-1863)『墓地のアラブ人』1838年
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[03]Courbet(1819-77)『雪の中の鹿の戦い』1868年頃
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[04]Corot(1796-1875)『ボロメ島の浴女たち』1872年頃
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[05]Pissarro(1830-1903)『水浴する女たち(習作)』1896年
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[06]Cezanne(1839-1906)『坐る農夫』1897年頃
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[07]Signac(1863-1935)『パリ、ポン=ヌフ(Paris, Le Pont-Neuf)』1931年
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[08]ラプラ―ド(Pierre Laprade)(1875-1932)『静物(Nature Morte)』1930年頃
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[09]Gogh(1853-90)『ドービニーの庭(Le jardin de Daubigny)』1890年
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[10]Gauguin(1848-1903)『ブルターニュの少年の水浴(愛の森の水車小屋の水浴、ポン=タヴェン)』1886年
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[11]Redon(1840-1916)『ペガサス、岩上の馬』1907-10年頃
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[12]ムンク(Munch)(1863-1944)『マイスナ―嬢の肖像』1906-07年
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[13]Bonnard(1867-1947)『白いコルサージュの少女(レイラ・クロード・アネ嬢)』1930年
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[14]シダネル(Sidaner)(1862-1939)『離れ家』1927年
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[15]Dufy, Raoul(1877-1953)『エピソム、ダービーの行進』1930年
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[16]Marquet(1875-1947)『ポン=ヌフとサマリテーヌ』1940年
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[17]Vlaminck(1876-1958)『雪景色』制作年不詳
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[18]Matisse(1869-1954)『La France』1939年
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[19]Picasso(1881-1973)『Cancan』1900年
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[20]Picasso『女の半身像(胸出す女)』1970年
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[21]レジェ(Leger)(1881-1955)『踊り(第1作)』1929年
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[22]Braque(1882-1963)『果物入れと果物』1935年
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[23]Laurencin, Marie(1883-1956)『花束を持つ婦人』1942年頃
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[24]Pascin, Jules(1885-1930)『緑衣の女』1927年
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[25]Soutine, Chaim(1893-1943)『椅子によれる女』1919年頃
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[26]Kisling(1891-1953)『ルーマニアの女』1929年
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[27]Modigliani(1884-1920)『男の肖像』1919年
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[28]Foujita, Leonard(1886-1968)『裸婦と猫』1923年
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[29]Foujita, Leonard『アッシージ(Assisi)』1961年
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[30]ビュッフェ(Buffet, Bernard)(1928-99)『赤い家』1961年
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[31]マイヨール(Maillol, Aristide)(1861-1944)『ヴィーナス(Venus)』1918-28年
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【小生comment】
 上記展示作品は、いずれも甲乙つけがたい傑作揃いである。
 これ等の多くの傑作をひろしま美術館が所蔵していることを本展を見て初めて知った。
 今回の視察旅行の行程外での自由時間を利用した個人的な行動だったが、小生の人生に於いて得た収穫は決して小さくない。

■続いての話題は、俳句の世界についてである。
 「松尾芭蕉『更科紀行』」の今回はその最終回となる「その3」についてである。
 因みに、「その1」「その2」については、本《会報》2016年09月4日付【0616】と09月08日【0617】の両号にてお届けした。
 松尾芭蕉は、《会報》【0616】号の「その1」にてお伝えした様に、1688(貞享05)年08月11日(新暦09月05日)、門人・越智越人を伴い、旅に出た。
 美濃国・岐阜を出発し、「寝覚の床」「木曾の桟」「立峠」「猿が馬場峠」を経て、信州 更科にある「姨捨山」にて名月を見る旅である。
 芭蕉は、岐阜を出立して4日後の08月15日(新暦09月09日)夜、目的地である「姨捨山」で中秋の名月を鑑賞した。
 その後、彼は「善光寺」に立ち寄り、更に「碓氷峠」を超えて、08月下旬(新暦09月20日過ぎ)、江戸 芭蕉庵へと帰った。328年前の出来事である。

《原文》
 
 桟(かけはし)や いのちをからむ 蔦(つた)かづら

 桟や 先(まづ)おもひいづ 馬むかへ

 霧晴れて 桟は目も ふさがれず 越人

 さらしなや 三よさ(=三夜さ)の月見 雲もなし 同

《現代語訳》

【意】木曾の難所「桟(かけはし)」に遣って来た
 見ると、蔦かづらがその桟橋に必死に絡み付いているヨ
【季語】つたかづら:秋

【意】この木曾の桟橋を見ると、つくづく感じることがある
 それは、その昔、都の宮中に木曾馬を献上する「駒迎へ」があった頃は、どんな思いでこの危険な桟橋を渡ったのだろうかと
【季語】駒むかへ:秋八月

【意】霧が掛り見えなかった時と違い、いざ霧が晴れて千尋(せんじん)の谷が真面(まとも)に見える様になったら、この難所の恐ろしさを今更の様に痛感した
【季語】霧:三秋

【意】更科で三夜連続で月見をしたが全て雲もない晴れだった
 月が明るく確り見えたことだヨ
【季語】月見:秋

《原文》

 姨捨山(をばすてやま)にて‥

 俤(おもかげ)や 姥(をば)ひとりなく 月の友

 十六夜(いざよひ)も まだ更科(さらしな)の 郡(こほり)哉(かな)

 ひよろひよろと 尚(なほ)露けしや 女郎花(をみなへし)

《現代語訳》

【意】月下に姨捨山の姿が見える
 言い伝えにある通り、姨捨山に捨てられ嘆き悲しむ老婆の俤が見える様だ
 その俤を月の友とする思いに感無量となる
【季語】月:秋

【意】十五夜(=名月)を見た翌日の十六夜(いざよひ)もまだ私は更科に居る
 有名な此の地でまだ月見をしたからだ
 (注)「まだ『さらし』な」は、「まだ更科(「さらし」な)」と「まだ去らじ(さらし)」を掛けている
【季語】十六夜:秋

【意】女郎花(をみなへし)が、露に濡れその露の重さに堪えられずひょろひょろと咲く姿はその名の通り風情があることだ
【季語】おみなへし:秋

《原文》

 木曾の橡(とち) 浮世の人の みやげ哉(かな)

 身にしみて 大根からし 秋の風

 善光寺

 月影や 四門(しもん)四宗(ししゆう)も 只一(ただひとつ)

 吹(ふき)とばす 石は浅間(あさま)の 野分(のわき)哉(かな)

《現代語訳》

【意】木曾の橡の実を、浮世で待っている人々への土産にしよう
 (注)「とち」:「橡」/食用にした/「橡」は西行の歌にもある様に隠遁者と結び付く
【季語】橡(とち):秋

【意】木曾名物の辛み大根の辛さが、秋風と相俟って身に沁みる思いだ
【季語】秋の風:秋

【意】四つの門、四つの宗派に分かれているが、帰する処は一つ
 月の光がその善光寺をを照らしている
 (注)「四門」は善光寺四門/善光寺・浄土寺・雲上寺・無量寺/「四宗」は浄土宗・天台宗・律宗・倶舎宗の四宗派をはじめ諸説ある
【季語】月影:秋

【意】石を吹き飛ばす程の凄い勢いで浅間山の野分は吹き荒れる
【季語】野分:秋

【小生comment】
 今年2016年の中秋の名月は、今月09月15日(木)の夜だった。
 小生は、九州の別府鉄輪温泉にいた。
 その日は、そそっかしい小生、お酒で酔いが回って仕舞い、名月を見られなかったのが悔やまれる。
 時習26回の榊原君【3-1】や岩瀬S君【3-4】がfacebookに名月をupしていた。
 今年の名月は、三河地方では春で言う朧月の様にうっすらと霞んで見えていた。
 さて、芭蕉についてである。
 1688年8月(=新暦9月)下旬に芭蕉は「更科紀行」終え、江戸に帰った。
 そして半年余り後の1689年3月(=新暦)、門人曽良を伴い、「奥の細道」への旅に出るのである。
 これで「笈の小文」→「更科紀行」→「奥の細道」と、三紀行文が繋がった。
 其処で、本《会報》でmp芭蕉seriesは暫くお休みすることとする。

■今日最後の話題は、今日のmain theme 『中&北九州旅行〔前編=初日〕』についてである。
 因みに、『中&北九州旅行〔後篇〕』(二日目~五日目)は次号《会報》にてお伝えする予定である。

《初日(09月15日)》
 00時15分 拙宅発→〔音羽蒲郡IC〕→東名高速道路→伊勢湾岸自動車道路→東名阪自動車道→新名神高速道路→名神高速道路→京滋バイパス→名神高速道路→中国自動車道→山陽自動車道→広島岩国道路→山陽自動車道→中国自動車道→〔関門橋〕→九州自動車道→東九州自動車道→〔椎田南IC〕→国道10号線→中津豊前線→一般道→09時45分 中津城(奥平家歴史資料館)着〔走行距離812km‥途中休憩1回(山口県のSA)‥〕

【中津城(奥平家歴史資料館)】09時45分着
 1587(天正15年)10月 黒田孝高が島津征伐の功に拠り、12万3千石の大名となる
 1588(天正16)年01月 造営〔→ 1600年 黒田長政は福岡藩52万3千石へ移封〕
 1600(慶長05)年12月 豊前一国及び豊後の速見・国東2郡 30万石で入国
 1602(慶長07)年 小倉城造営成り、忠興は小倉へ移る/嫡子忠利は中津
 1620(元和06)年12月 忠興(=三斎)隠居し、中津城へ、忠利が小倉城へ
           〔→ 1632年10月 肥後一国及び豊後2郡 54万石、熊本へ移封〕
 1632(寛永09)年10月 小笠原長次が中津8万石入封
           〔→ 同時に、長次の叔父 小笠原忠真が小倉15万石入封〕
 1717(享保02)年02月 奥平昌成(まさしげ)が中津10万石入封
           〔→ 以後、奥平氏9代で明治維新を迎える〕

[32]中津城外観
 32

[33]細川忠興が築いた石垣(左)と黒田官兵衛孝高(よしたか(如水))が築いた石垣(右)
 33_2

[34]中津城天守閣前にて
 34

【福澤諭吉旧居】11時00分着
 福沢諭吉(1835-1901)は、天宝05(1835)年、大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下級武士福澤百助の次男として出生。
 1836(天保06)年 父百助死去に伴い、母子6人で中津へ帰郷。
 1855(安政02)年 諭吉19歳の時、蘭学者の大坂の緒方洪庵の適塾へ入門する迄起居した住居が添付写真[35][36]である。
 1856(安政03)年 長兄三之助病死に拠り、中津に戻り福澤家を嗣ぐ
 1867(安政04)年 適塾塾長となる
 1858(安政05)年 藩命に拠り江戸へ出府、藩主奥平家の中屋敷に蘭学熟を開く〔←・慶應義塾の起源〕
 1859(安政06)年 横浜見物を契機に英学に転じ、独学でこれを修得
 1860(万延元)年 咸臨丸で渡米、帰朝後、幕府の外国方に雇われる
 1862(文久02)年 遣欧使節団に随行し、欧州各国(仏英蘭普露葡)を廻る
 1864(元治元)年 幕府翻訳方となる
 1867(慶應03)年 幕府の軍艦受取委員として再渡米
 1868(慶應04)年 熟名を正式に『慶應義塾』とする/09月改元し、明治元年に

 ※ 大阪大学の前身でもある適塾で僅か2年で塾長になる福澤の俊英ぶりは流石である。
  20代から30代前半にかけての福澤諭吉の輝く様な活躍ぶりには驚嘆の一語に尽きる。

[35]福澤諭吉旧居前にて
 35

[36]福澤諭吉旧居
 36

 福澤諭吉旧居を見終えて、徒歩数分の所にある赤い壁の寺「合元寺(ごうがんじ)」を訪れようと地図を見ていた。
 そうした処、男性から声をかけられた。
 地元で観光volunteerをしているという。
 彼の道案内で合元寺へいく途中幾つかの寺も案内してくれた。

【赤壁/合元寺】11時50分着
 合元寺は、黒田官兵衛に討たれた宇都宮鎮房(しげふさ(1536-88))の家臣が此処で全員討死。
 その返り血が、いくら塗り替えても浮き出る為、終に赤く塗ったという伝承のある寺。

[37]赤壁 合元寺
 37

 次に向かったが、福澤諭吉旧居から東南東へ21kmの所にある『宇佐神宮』。

【宇佐神宮】13時35分着
 全国に神社は約11万あり、うち最も多いのは八幡宮で、その数は4万社余りある。
 当神宮は、その八幡様の総本宮。
 皇室も伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として崇敬されている。
 当神宮は、戦前では小学生でも知っていた『宇佐八幡宮神託事件』〔別名:『(弓削)道鏡事件』〕で著名な神社である。

[38]宇佐神宮大鳥居前にて
 38

[39]宇佐神宮・上宮(じょうぐう)
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 〔主祭神向かって左より「一之御殿「八幡大神(応神天皇)」/二之御殿「比売大神(ひめのおおかみ):宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)」/三之御殿「神功皇后」〕

 次に向かったが、宇佐神宮から更に東南東へ22kmの所にある『熊野磨崖仏』。

【熊野磨崖仏】15時40分〔磨崖仏には15時50分着〕
 伝説では、718(養老02)年に造られたというが、文献では1228(安貞02)年に「大日石屋」「不動石屋」に存在が確認されている。
 磨崖仏への道は、急峻で僅か10分で到着したが、大汗を掻いた。

[40]熊野磨崖仏へ向かう参道入口にて
 40

[41]熊野磨崖仏
 41

 〔左:不動明王像(総高 約8m)/右:大日如来像(同 6.8m)〕

 初日、最後に向かったが、熊野磨崖仏から南へ29kmの所にある『湯けむりの里/東屋(あずまや)』。

【別府鉄輪(かんなわ)温泉/湯けむりの里 東屋】17時05分着
 旅館の窓から見た別府鉄輪温泉の街は、添付写真[43]をご覧の通り、湯けむりがいっぱいだった。
 温泉の湯質は大変良く、当日は平日だったので宿泊客も少なく、ゆっくりと静かで温かなな温泉に浸かることが出来た。

[42]湯けむりの里 東屋 入 
 42

[43]旅館から別府鉄輪温泉の街眺望
 43

【後記】当初は、二日目の模様もお伝えしようと思ったが、内容が豊富なので、次号で〔二日目~最終日〕の模様をお伝えする予定である。
 お楽しみに!

【詞書】今回の『中&北九州旅行』は九月の雨と台風16号が心配だったが、三日目の夕方長崎に着いた時「長崎は今日も雨だった‥」と、四日目の午後から夜半にかけてだけで済んだ。
 彼岸前の楽しいひとときはあっと言う間に過ぎ去った‥

  彼岸前 想ひ出深き 九州路 悟空

 ではまた‥。(了)

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