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2016年10月10日 (月)

【時習26回3-7の会 0621】~「10月08日:『時習26会ゴルフコンペ2016 at 浜名湖CC』開催報告」「松尾芭蕉『野ざらし紀行』〔第1回〕」「09月22日:豊橋美術博物館『放浪の天才画家 山下清』展を見て」「09月24日:岐阜県立美術館『フランス風景/樹をめぐる物語』展・古川美術館『絵に生きた画家夫婦の軌跡/加藤金一郎と丹羽和子‥絵は人生‥』展・名都美術館『自然讃歌‥時のうつろい‥』展・鞍ヶ池アートサロン『~院展の画家たち~秋澄む日本画~』展を見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も《会報》【0621】号をお送りします。

■今日は、まず始めに昨日10月09日、09時10分より『時習26会ゴルフコンペ2016 at 浜名湖CC』が浜名湖CCにて開催された。
 今回は、急遽所用で欠席となった波田野K平君【3-8】を除く以下の14名が集合したので3年次のクラス順にご紹介する。
 そして、今回のNEWSは何と言っても、我が【2637の会】membersの一人石田Y博君が初出場してくれたことだ。
 本会では、その石田君がNetでTopの最小scoreを出したのだが、初参加者はHcpが自主申告の為優勝できず、準優勝になった。
 それにしても凄いことである。
 石田君、おめでとう!

《参加者一覧》
 【3-1】  ―
 【3-2】鈴木Y男、中嶋Y行
 【3-3】市原T弘、鈴木K
 【3-4】  ―
 【3-5】  ―
 【3-6】嘉森M俊
 【3-7】石田Y博、今泉 悟
 【3-8】伊藤H之、野末 K、安井K二、矢野S介
 【3-9】鈴木H彦、福井A輔
 【3-10】高山T彦
 〔以上、クラス別、五十音順、敬称略〕

 その石田君から、今朝、小生宛に時習26回ゴルフコンペ参加の御礼mailを頂戴した。
 恐縮して仕舞うが、嬉しい言葉で綴られていたので以下にご紹介する。

Sent: Monday, October 10, 2016 6:20 AM
To: 今泉 悟
Subject: 昨日は有難うございました

今泉君

 昨日は有難うございました。
 42年ぶりに旧友達と再会でき、とても嬉しかったです。
 私は酒がほとんど飲めないため、こうしたスポーツでの交流が一番の楽しみです。
 今回のコンペ参加も今泉君が7組の会できっかけを与えてくれたお陰です。
 このこのような素晴らしい機会を与えてくださった、今泉君に心から感謝します。
 今後ともよろしくお願い致します。

     石田Y博

[01]時習26会ゴルフコンペ2016 at 浜名湖CC 懇親会全体写真1
 012620161009_at_cc

[02]同上2
 022620161009_at_cc

【小生comment】
 ホント、嬉しい言葉を頂戴しました。
 こちらこそ、参加してくれて有難う!
 そして、初出場での見事な準優勝、おめでとうございます。
 今回、石田君の組には一つ趣向を凝らしました。
 それは、貴兄と、同伴者の市原君、喜男君、高山君と全員バスケット部で同期会を play し乍ら出来たので良かったかナァ‥と。
 来年も是非参加して下さい。

 それから、石田君以外の【2637の会】membersの皆さんも気軽に是非参加して楽しいひとときをお過ごし下さい。
 因みに、懇親会会場での全体写真[01][02]参加者14人と顔との上記の参加者名、全員解りますか?

■さて続いての話題‥。
 今日は、松尾芭蕉(1644-94)の第一作目となる紀行文『野ざらし紀行』〔第1回〕をお届けする。
 実は、前々回《会報》【0619】にて、松尾芭蕉『更科紀行』が終わった際、暫く松尾芭蕉seriesはお休みする旨お伝えした。
 ではあったのだが、松尾芭蕉が紀行文を作り出したのはいつ頃だったのか気になっていた小生、早速調べてみた。
 その結果、貞享元年八月中旬(新暦1684年09月25日頃)~同02年四月下旬(同1685年06月初旬)に掛けて旅した『野ざらし紀行』が最初の作品だと解った。
 旧暦の貞享元年八月中旬と言えば、八月十五日は新暦で言えば1684年09月24日に当たる‥、即ち今から332年前の秋‥、丁度今頃のことである。
 ‥なら《会報》に掲載することにしよう、ということになった次第である。

《野ざらし紀行*解説》
 『野ざらし紀行』は、『甲子吟行』とも呼ばれる。
 『野ざらし(=野晒し)』とは、髑髏(どくろ・しゃれこうべ・されこうべ)のことで、9箇月間に及ぶ旅に対する芭蕉の覚悟の程が窺われる。
 本紀行は、松尾芭蕉41歳の最初の紀行文。
 芭蕉が伊賀上野を発ち生活基盤を江戸に移すべく下向したのは、寛文12~14年、芭蕉29~32歳の頃で諸説ある。
 1644(寛永21)年 芭蕉は本名松尾金作と言い、伊賀上野の準士分待遇の農民の息子として生まれた
 1662(寛文02)年 芭蕉は、縁あって侍大将 藤堂良精(よしきよ)の嫡子良忠(俳号:蟬吟(せんぎん))の近習に召抱えられ、俳号:宗房)を名乗る
 1666(寛文06)年 良忠死去に拠り、芭蕉は藤堂家を辞する〔~29歳迄は雌伏期間〕
 1675(延宝03)年 05月 談林派の祖 西山宗因(=俳号:一幽(1605-82))が江戸に下向した折、芭蕉は執筆(しゅひつ(書記役))として参加
         俳諧は、古風な貞門から新風談林へ移行する時代であった
         この年、芭蕉(32歳)は俳号を桃青(とうせい)に改める
 1680(延宝08)年 芭蕉(37歳)、江戸深川に草庵〔=深川芭蕉庵=〕を結ぶ
         『桃青門弟 独吟廿歌仙』を刊行〔杉風・卜尺・基角・嵐雪らに拠る歌仙に芭蕉が判詞をつけた〕
 1681(天和元)年 芭蕉の弟子の李下が深川のこの庵の庭に芭蕉1株を植え、大きく繁ったことから「芭蕉庵」と呼ばれる様になる
         芭蕉自身も「芭蕉庵桃青」と名乗る
 1683(天和03)年 芭蕉の母が亡くなった
 1684(貞享元)年 『野ざらし紀行』の行程は以下の通り。

※ 1684(貞享元)年 ※
◆八月中旬(十一~廿日(新暦1684年9月20~29日頃))‥・江戸深川の草庵を門人千里(ちり(=苗村氏))を伴い、東海道を上方を目指して出立
◆八月二十日過ぎ(新暦09月30日過ぎ)‥・小夜中山を越える
◆八月晦日(新暦10月08日(猶、八月は小の月につき晦日は29日)‥・伊勢外宮を参詣
 九月八日(新暦10月16日)‥・伊賀上野着、兄半左衛門宅に滞在
 ‥・千里の故郷、大和国竹内村千里宅を訪問、吉野山に登る
 九月下旬(新暦10月28日~11月06日)‥・今須、山中を経て大垣へ‥谷木因亭に泊す
 十月初旬~中旬(新暦11月07日~25日頃)‥・伊勢の多度権現、桑名本統寺を経て熱田へ
 十月下旬(新暦11月25日頃~12月06日)‥・名古屋へ赴く、その後再び熱田へ
 十二月廿五に(新暦1685年01月29日)‥・伊賀上野に帰り越年

※ 1685(貞享02)年 ※
 二月(初旬から中旬廿日迄(新暦03月05日~03月24日)) 伊賀より奈良へ、二月堂の行事「修二会」を拝す
 因みに、東大寺二月堂の修ニ会(しゅにえ(=おみずとり))は二月一日~十五日(現在は、新暦03月01~14日に行われる)
 二月下旬(廿一日~晦日(新暦03月25日~04月03日)) 京都鳴滝の三井秋風の山荘に遊ぶ
 三月上旬(朔日~十日(新暦04月04日~13日) 伏見西岸寺に任口上人を訪ねる
 三月中旬(十一日~廿日(新暦04月14日~23日)) 水口の駅で服部土芳に逢い数日滞在、のち名古屋へ向かい熱田の桐葉亭へ
 四月四日(新暦05月06日) 鳴海の下郷知足を訪ねる
 四月五日(新暦05月07日) 熱田へ戻る
 四月九日(新暦05月11日) 再び鳴海へ赴く
 四月十日(新暦05月12日) 鳴海を発ち、江戸へ向かう
 四月下旬(廿一日~晦日(新暦05月23日~06月01日)) 木曾・甲斐を経て江戸へ帰着

 それでは、【野ざらし紀行】〔第1回〕(‥江戸出立~伊勢外宮参詣‥)をお伝えする。
 芭蕉が江戸深川の芭蕉庵を出立した貞享元年八月中旬(十一~廿日(新暦1684年9月20~29日頃))から伊勢外宮を参詣した貞享元年八月晦日(新暦10月08日)迄の模様である。

《原文》
 千里(注1)に旅立て、路粮(みちかて)をつゝまず(注2)、「三更月下無何に入(注3)」と伝けむ、
 むかしの人(注4)の杖にすがりて、貞享甲子(注5)秋八月、江上の破屋(注6)をいづる程、風の声、そゞろ寒げ也。

  野ざらしを心に風のしむ身哉

  秋十とせ却(かへつ)て江戸を指(さす)古(=故)郷

《現代語訳》
 千里の旅に旅立つに当たり、道中の食糧も用意せず、「真夜中の月の下、何の所作もない自然な境地となった」という、昔の人の杖に縋(すが)り、貞享元年秋八月、深川のあばら家(=芭蕉庵)を出る時、風の音が、心惹かれる様に寒々と感じられた。

【意】旅の途中で道端に髑髏を晒すことになるかもしれぬ
   それ程の覚悟で旅立つ‥風が冷たく身にしみることだ
【季語】しむ身=「身にしむ」:秋

【意】江戸に下向して既に十回目の秋を迎える
   嘗ては、故郷の伊賀上野を発ち新天地江戸に移ったが、異郷だった筈のこの江戸が、却って懐かしく、第二の故郷と思われる
【季語】秋

   この句は、中唐の詩人賈島(かとう(779-843))『度桑乾』を原典とする

  度桑乾         桑乾(そうかん)を度(わた)る
 客舎并州已十霜 并(へい)州に客(かく)舎すること已に十霜
 歸心日夜憶咸陽 帰心(きしん) 日夜 咸陽を憶(おも)う
 無端更度桑乾水 端(はし)無くも更に度る桑乾の水
 卻望并州是故郷 却(かえ)って并州を望めば是れ故郷

【意】并州に旅住まいをするようになってから、既に十年が経つ
 思えばその間、故郷に帰りたいという心は抑えがたく、昼夜、懐かしい咸陽のことを憶(おも)い続けて来た
 今度、思いがけなく、こうして更に桑乾河を渡り、更に遠く北方に行くことになった
 今此処から遥かに并州の方を振り返ってみれば、是迄他郷としか思えなかった并州が、恰も故郷の様に親しく感じられることだ

《語句》
(注1)千里:「百里ニ適(ユ)ク者ハ、糧ヲ舂(うすづ)ク。千里ニ適(ユ)ク者ハ、三月糧ヲ聚(アツ)ム」(荘子『逍遥遊』) 
(注2)路粮:道中の食料
(注3)三更月下無何に入:「三更」:夜を五つの時間帯に分けた「五更」の三番目(午後11時~午前1時)/「無何」:自然の儘で何の所作もしないこと
  「路(ミチ)粮(カテ)ヲ齋(ツツマ)ズ、笑ヒテ復(マタ)歌フ。三更(サンカウ)月下無何(ムカ)二入(イル)」(『江湖風月集』)
   (中国宋の禅僧 偃渓広聞の『語録に褙(←衣偏に背(はい))す』)に拠る
(注4)むかしの人:偃渓広聞
(注5)貞享甲子:1684(貞享元)年
(注6)江上(かうしやう)の破屋(はをく):深川の隅田川沿いの芭蕉庵/1682(天和02)年の大火の後、再建された

《原文》
 関(注1)こゆる日は雨降りて、山皆雲にかくれたり。

  霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

 何某ちり(注2)と伝けるは、此たびみちのたすけとなりて、万(よろづ)いたはり、心をつくし侍る。
 常に莫逆(ばくげき)(注3)の交(まじはり)ふかく、朋友信有(ある)哉(かな)(注4)、此人(このひと)。

  深川や芭蕉を富士に預行(あづけゆく) ちり

《現代語訳》

 箱根の関を越える日は雨が降り、山は皆雲に隠れた。

【意】霧雨が降って富士は見えないが、この富士が見えない景色も趣きが深く感じられる
【季語】霧しぐれ:秋

 某千里君が、今回旅を同行して助っ人になってくれて、色々と労わってくれ、心を尽くしてくれる。
 常に気心知れた親密な間柄として付き合ってくれる。
 友人に対して誠実であるとは、此の人のことを言うのだ。

【意】深川の庵の前に植えてある芭蕉樹を置いていくのは心残りだ
 でも、庵の前に見える絶景の富士山の景色の中にこの芭蕉樹を預け置いて行けば大丈夫だ
【季語】芭蕉:秋

《語句》
(注1)関:箱根の関/歌枕
(注2)ちり:芭蕉の門人 苗村千里(1648(r45)-1716)/大和国葛下郡竹内村出身、浅草在住/通称:粕屋甚四郎or油屋嘉右衛門
(注3)莫逆:互いに気心知れた親密な間柄
(注4)朋友信有哉:友人に対して誠実であること。
   原典:與朋友交而不信乎/朋友と交りて信ならざるか‥〔友人との付き合いで裏切らなかっただろうか‥〕(『論語』「学而第一=4=」)

《原文》
 冨士川(注1)のほとりを行(ゆく)に、三つ計(ばかり)なる捨子の哀(あはれ)氣に泣(なく)有(あり)。
 この川の早瀬にかけて(注2)、うき世の波をしのぐにたえ(=へ)ず(注3)、露計(ばかり)の命(注4)を待(まつ)まと捨(すて)置(おき)けむ。
 小萩がもとの秋の風(注5)、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂(たもと)より喰物(くひもの)なげてとを(=ほ)るに、

  猿を聞(きく)人(ひと)捨子に秋の風いかに

 いかにぞや、汝、ちゝに憎まれたる歟(か)、母にうとまれたるか。
 ちゝは汝を悪(にくむ)にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。
 唯(ただ)これ天にして、汝が性(さが)のつたなき(を)なけ。

《現代語訳》
 富士川の畔(ほとり)を行く時、三歳位の捨て子が哀(あわ)れげに泣いていた。
 きっと捨て子の親は育てていくことが出来ず、露程の儚い我が子の命が失われる迄の間、捨て置いたのだろう。
 小萩が秋風に揺れる様に、今宵散るか、明日しおれるかと(‥思いつつも‥)袂から食物を投げて与えてやり乍ら‥

【意】子を亡くした母猿の声に涙し、詩に詠んだ嘗ての詩人達が、秋の風がこの捨子に吹き付ける様子を見たら、どの様に詠むだろうか
【季語】秋の風
【解説】芭蕉は、盛唐の詩人杜甫がよく名詩に取り上げる「哀猿の声」と、眼前にいる「秋風に吹かれる捨子」と、何れが哀切かと詠み手に問うている。
 杜甫が「哀猿の声」として具体的に取り上げた七言律詩の名詩をニ首『秋興其ニ』『登高』を続けて紹介する。

  秋興 八首 其二  杜甫(712-70)

 夔府孤城落日斜 夔府(きふ)の孤城 落日斜めなり
 毎依北斗望京華 毎(つね)に北斗に依りて京華を望む
 聽猿實下三聲涙 猿を聴いて実に下す三声の涙
 奉使虚隨八月查 使を奉じて虚しく随ふ八月の査(いかだ)
 畫省香爐違伏枕 画省(=尚書章)の香炉違ひて枕に伏し
 山樓粉堞隱悲笳 山楼の粉堞(ふん「ちょう(=土偏に世の下に木)」)悲笳(ひか)に隠る
 請看石上藤蘿月 請ふ看よ石上(せきじょう)藤蘿(とうら)の月
 已映洲前蘆荻花 已(すで)に映ず洲前(しゅうぜん)蘆荻(ろてき)の花

【意】夔州府(きしゅうふ)の孤城に日が西に傾くたび
   自分はいつも北斗七星を頼りに都の方角を見ていた
   猿の声は実に切なく三回その声を聴くだけで涙が流れ落ちる
   使命を奉じて筏(いかだ)に乗ったが虚しく漂った八箇月だった
   役所勤めで宿直する筈が今は病で枕に伏し
   山間の楼閣の粉堞(丈の低い垣根)で悲し気な芦笛の音を聞くばかりだ
   是非見て欲しいものだ、月影が城壁の藤蘿(=フジカズラ)や
   川の州の芦の穂花に照り渡っている様を‥

   ※ ※ ※ ※ ※

  登高   杜甫 (767年作)

 風急天高猿嘯哀 風急に 天高くして 猿嘯(えんしょう)哀し
 渚淸沙白鳥飛廻 渚(なぎさ)清く 沙(すな)白くして 鳥 飛び廻る
 無邊落木蕭蕭下 無邊の落木 蕭々(しょうしょう)として下り
 不盡長江滾滾來 不尽の長江 滾々(こんこん)として来(きた)る
 萬里悲秋常作客 万里 悲秋 常に客(かく)と作(な)り
 百年多病獨登臺 百年 多病 独り 台に登る
 艱難苦恨繁霜鬢 艱難 苦(はなは)だ恨む 繁霜の鬢(びん)
 潦倒新停濁酒杯 潦倒(ろうとう) 新たに停(とど)む 濁酒の杯

【意】風は激しく吹き寄せ、天は高く澄み、野猿がしきりに哀しげに鳴く
 川辺の水は清く、砂は白く、辺りには鳥が飛び廻る
 果てなく続く落葉の木々は、嘯々として物寂しげに枯葉を散らし
 尽きることなき長江の水は、滾々と湧き返る様に流れて来る
 万里遠く故郷を離れ、この悲しみを誘う秋景色の中で、私は常に旅人の生活を続けて来た
 来る年も来る年も、絶えず病気がちであった我が身は、今只一人高台に登っている
 耐え難い様々な苦しみ、めっきり白くなった鬢の毛が嘆かわしい
 老い衰えたこの頃は、心を楽しませる濁酒さえ、もはやその杯を断つことになってしまった‥

 杜甫の七言律詩の2つの傑作の『秋興 其ニ』の第三句に於ける「聴『猿』實下三聲涙/『猿』を聴いて実に下す三声の涙」、そして『登高』の第一句に於ける「風急天高『猿嘯哀』/風急に天高くして『猿嘯哀し』」と謳われている

 いったいお前はどうしたのか。お前は父に憎まれたのか、母に疎まれたのか。
 いや、父はお前を憎んだのでは無い、母はお前を疎むのではない。
 ただ天がお前に下した運命の非情を泣け。

《語句》
(注1)富士川:山梨県から静岡県を流れ駿河湾に入る/最上川・球磨川と並ぶ日本三急流の一つ/歌枕
(注2)この川の早瀬にかけて:この冨士側の急流に任せて
   鎌倉中期の紀行文(作者不詳)〔天龍川〕に「この川の早き流れも世の中の人の心のたぐひとは見ゆ」とある
(注3)うき世の波をしのぐにたえず:この浮世の荒波を、親が乗り切ることが出来ず/「波・しのぐ」は「川・早瀬」の縁語
(注4)露計(つゆばかり)の命:露のように儚い子供の命
(注5)小萩がもとの秋の風:小萩の様に可愛い秋の風
   「宮城野の霧吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」(『源氏物語』「桐壺」)を踏まえる
   →・秋風に揺れる小萩に赤子の翻弄される姿(=儚い命)を重ねている

《原文》
 大井川越ゆる日は、終日、雨降ければ、

  秋の日の雨江戸に指おらん大井川 ちり

 馬上吟

  道のべの木槿は馬にくはれけり

《現代語訳》
 大井川を越える日は、終日雨が降っていたので、

【意】秋の雨が降り続いているこの頃、
 江戸で我々を見送った人達は指折り数えて、「芭蕉一行は大井川辺りかな」‥
 などと話し合っているだろうか / 千里
【季語】秋の日

 馬の上で吟じた句。

【意】道端に木槿が咲いている、‥すると見る間に馬がその木槿を食べてしまった
【季語】木槿(ムクゲ):秋

《原文》
 二十日余(あまり)の月(注1)、かすかに見えて、山の根際(ねぎは)(注2)いとくらきに、馬上に鞭をたれて、数里いまだ鶏鳴(けいめい)ならず。
 杜牧が早行の残夢(注3)、小夜(さよ=さや)(注4)の中山に至りて忽(たちまち)驚く。

  馬に寝て残夢月遠し茶の煙(けぶり)

《現代語訳》
 二十日過ぎの有明の月が微(かす)かに見え、山の麓の辺(あた)りはかなり暗く、馬上で鞭を垂れ、数里進んで来たが、未だ一番鶏は鳴かない。
 杜牧が「早行」に詠んだ如く、まだ夢心地の儘、小夜(さよ)の中山に至り、ハッと目が覚めた。

【意】夢心地の儘ウトウトし乍ら馬上に揺られて来たが、ハッと気づき辺りを見渡せば、有明の月が遥か遠くに浮かび、家々からは朝茶を煮る煙が立ち昇っていた
【季語】月:秋

  早行   杜牧(803-52(53?))

 垂鞭信馬行 鞭を垂れ 馬に信(まか)せて行く
 数里未鶏鳴 数里 未だ鶏(けい)鳴らず
 林下帯残夢 林下(りんか) 残夢(ざんむ)を帯び
 葉飛時忽驚 葉飛びて 時に忽(たちま)ち驚く
 霜凝孤鶴迴 霜凝りて 孤鶴(こかく)迥(はる)かに
 月暁遠山横 月 暁にして 遠山(えんざん)横(よこた)はる
 僮僕休辞険 僮僕(どうぼく) 険(けん)を辞するを休(や)めよ
 何時世時平 何れの時か 世路(せいじ) 平(たいら)かならむ

【意】鞭打たず、馬の歩みに任せた儘進んで行く
 数里程の間、未だに一番鶏の声も聞こえて来ない
 林の中を馬の背に揺られて夢見心地に進んで行くと
 落葉がハラハラと舞い散る音に俄かに驚く
 霜が降りた野の彼方に、一羽の鶴の姿が見える
 有明の月輝の下、遙か遠方に山並みが横たわっている
 我が僮僕(しもべ)たちよ これから進む険しい路から逃げようとしてはいけない
 いつの日か世の中はきっと泰平の世になるだろうから‥

 小生、杜牧の「茶煙」いうと『題禅院』を思い出す。

  題禅院    杜牧

 觥船一棹百分空 觥船(こう(=魚偏に光)せん)一棹(いつたう) 百分空(むな)し
 十載青春不負公 十載の青春 公に負(そむ)かず
 今日鬢糸禅榻畔 今日鬢糸 禅榻(ぜんとう)の畔(ほとり)
 茶煙軽颺落花風 茶煙軽(かろ)く颺(あが)る 落花の風

【意】大杯になみなみの酒をぐいっと飲みほしたこともあった
 十年間の我が青春は、諸兄(=高官の人々)の期待に背かない充実した日々だった
 しかし今ではすっかり髪も白くって、禅寺の腰かけに座っている
 (眼前の)茶の煙が、舞い散る花弁(びら)を吹き流す風に揺らいでいる
 (注)觥船(こうせん):船の形をした角製の大杯/禅榻:座禅用の腰掛

《語句》
(注1)二十日余の月:陰暦二十日過ぎの月。有明の月
(注2)山の根際:山麓の辺り
(注3)残夢:まだ夢の名残で夢が続いているような心地
(注4)小夜(さよ(=佐夜=さや))の中山(なかやま):歌枕/静岡県掛川市にある峠/金谷と新坂の間にある、左右の谷が深く東海道の難所
   年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山 〔『新古今集』西行〕の歌で知られる
  【意】こんなに年老いて再び越えるだろうと思ってもみただろうか
     それなのに佐夜の中山を超えることが出来るのは、矢張り命あってのことだなぁ
   1186(文治元)年、69歳で陸奥へ下った時の歌

《原文》
 松葉屋風瀑(注1)が伊勢に有(あり)けるを尋(たづね)音信(おとづれ)て、十日計(ばかり)足をとゞむ。
 腰間(えうかん)に寸鉄(すんてつ)をおびず(注2)、襟(えり)に一嚢(いちのう)(注3)をかけて、手に十八の珠(たま)(注4)を携(たづさ)ふ。
 僧に似て塵(ちり)有(あり)、俗にに(=似)て髪なし。
 我僧にあらずといへども、髪なきものは浮屠(ふと)(注5)の属にたぐへて、神前に入(いる)事をゆるさず、暮(くれ)て外宮(注6)に詣(まうで)侍りけるに、一の華表(とりゐ)(注7)の陰ほのくらく、御燈(みあかし)処ゝ(ところどころ)に見えて、「また上もなき峯の松風(注8)」身にしむ計(ばかり)、ふかき心を起(おこ)して、

  みそか月なし千とせの杉を抱くあらし

《現代語訳》
 松葉屋風瀑が伊勢にあるのを訪問して、十日ほど滞在した。
 腰に刀も差さず、襟に頭陀袋を下げ、手には数珠を携える。
 僧に似ている割には俗世の塵に塗(まみ)れている一方、俗人であるかと思えば剃髪している。
 私は僧ではないのだが髪の無い者は僧の類と看做され、伊勢神宮の神前に入ることを許されない。
 其処で日が暮れてから外宮に参詣した処、一の鳥居の影がほの暗く、燈台が所々に見え「この上なく尊い峯の松風」と西行が詠んだ情緒が身に沁みる程の深い感動を覚えて‥

【意】月の無い晦日(月末)の夜、樹齢千年と垂(なんな)んとする大杉を抱く様に嵐が吹いている
【季語】月:秋
【解説】この句は『西行物語/16.月によせて』(以下、桑原博史著『西行物語』全訳註 から引用))とあるを踏まえている
《原文》神路山(かみぢやま)の嵐おろせば、嶺の紅葉葉(もみぢば)、御裳濯河(みもすそがわ)(注A)の浪に敷き、錦(にしき)を晒すかと疑われ、御垣(みがき)の松を見やれば、千歳(ちとせ)の緑、梢(こずえ)に現はる。
「同じ月なれば、如何に木の葉隠れも」など思ふ。
 殊(こと)に月の光も澄みのぼりければ、
  神路山 月さやかなる 誓ひにて 天の下をば 照らすなりけり
  榊葉(さかきば)に 心をかけむ 木綿四手(ゆふしで)(注B)を 思へば神も 佛なりけり
《現代文》神路山の嵐が吹き降ろして来ると、嶺々の紅葉の葉が御裳濯川の波に散り敷き、錦を晒しているかの様に鮮やか見え、神域の垣となっている松を見やると、千年にも変わらぬ松の緑が木々の梢にくっきりと見える。
 「あの松と同じ山から昇る月だから、木の葉隠れしないで現れてくれ」等と思っている。
 すると、見事に月の光が澄んで昇って北ので‥
  後掲(注8)参照
  榊の葉に心をかけて祈願しよう
  その榊の葉に木綿四手を垂らして祀る伊勢の神様を、よくよく思えば、その神様も仏様の権化なのであった
(注A)御裳濯河:伊勢神宮の内宮の神域内を流れる五十鈴川の別称
   宮であった倭姫命(やまとひめのみこと)(注※)がこの清流で御裳を洗い清めたという故事に拠る命名
   (注※)倭姫命:第11代 垂仁天皇の皇女と云わる/天照大神の詞を大和国笠縫(かさぬい)村から伊勢国五十鈴川に遷す
(注B)木綿四手:木綿(コウゾ)の皮を細かく裂いて榊等につけて神前に飾るもの
(注1)松葉屋風瀑:伊勢度会の人/生没年不詳/芭蕉・素堂等と俳諧上の交流があった
(注2)腰間に寸鉄をおびず:腰に刀さえ差さず
(注3)嚢:頭陀(ずだ)袋
(注4)十八の珠:数珠(じゅず)/珠数は本来は「108の煩悩」に由来し、簡略化され半分の54、3分の1の36、その又半分の18個等様々
(注5)浮屠:ふと/仏陀/僧のこと
(注6)外宮(げくう):衣食住の守神 豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
(注7)華表:鳥居
(注8)「また上もなき峯の松風」:この上もなく尊い峯の松風
   深く入りて神路(かみぢ)の奥(をく)を尋(たづ)ぬればまたうゑ(=へ)もなき峰の松風〔『千載集』圓位法師〕
  【意】深く入って神路山の奥を訪ねてみると、この上のない峰、霊鷲山に吹く松風が此処にも吹いているよ
  猶、「圓位」は、西行と名乗る前の法号

《原文》
 西行谷(注1)の麓に流あり。
 をんなどもの芋あらふを見るに、

  芋洗ふ女西行ならば哥(=歌)よまむ

《現代語訳》
 西行谷の麓に流れがある。女たちが芋を洗うのを見て、

  芋洗ふ女西行ならば哥よまむ
【意】芋を洗う女たちよ。西行法師であれば、江口の遊女の話のように彼女たちに歌を詠みかけるのだろうなあ
【季語】芋:秋
【解説】西行法師と江口の遊女の故事による
    その故事は、以下の歌が新古今集に収められている
    西行法師が難波の江口で宿をもとめて
   「世の中を いとふまでこそ 難(かた)からめ 仮の宿をも 惜しむ君かな」〔『新古今集978』西行〕
   【意】この世を厭い捨てる迄は難しいにせよ、かりそめの一夜の宿を貸すこと位は出来そうなのに、貴女はそれすら惜しまれるのですね
    返(かへ)し
   「世をいとふ 人とし聞けば 仮(かり)の宿に 心とむなと 思ふばかりぞ」〔『同979』遊女(いうぢよ)妙(たへ)〕
   【意】いえ、お坊様はこの世を厭うて出家された方と伺っておりますので、私のかりそめの宿などに心をお留めなさいますな、と思っただけでございます

《語句》
(注1)西行谷:伊勢内宮の南方にある神路山の南にある谷/西行隠棲の地と伝えられる

《原文》
 其日のかへさ(注1)、ある茶店に立寄けるに、てふと伝けるをんな、「あが名に発句せよ」と伝て、白ききぬ出しけるに、書付侍る。

  蘭の香や蝶の翅(つばさ)にたき物す

 閑人(かんじん)の茅舎(ばうしや)(注2)をとひて

  蔦(つた)植(うゑ)て竹四五本のあらし哉

《現代語訳》
 その日の帰り際、ある茶店に立ち寄った処、蝶(ちょう)という名の女が、「私の名前で発句を作って下さい」と言って白い布を差し出したので、その布に書き付けた。

【意】蘭にとまっている蝶の羽はよい香りがして、まるで蘭の香を焚き染めたようだ
【季語】蘭:秋
【解説】この句については、芭蕉の弟子服部土芳『三冊子』に発句した経緯が詳しく述べられている
 ※ この句は、ある茶店の側に道休らひして、佇みありしを、老翁を見知り侍るにや、内に請じて、家女、料紙持ち出でて句を願ふ。
 ‥その頃難波の(西山)宗因(1605-82)、この所に渡り給ふを見かけて句を願ひ請ひたるとなり。‥頻りに望み侍れば、否(こば)み難くて、かの難波の老人の句に、『葛の葉の おつるのうらみ 夜の霜』とか言ふ句を前書きにして、この句遣(うか)わし侍るとの物語なり

 閑居する人の庵を訪ねて、

【意】蔦を植えて、四五本の竹を植えて、それらを風がざわざわと吹きさわがしている、味わい深い庵の景色だよ
【季語】蔦:秋

《語句》
(注1)かへさ:帰り際
(注2)閑人の茅舎:閑居する人の庵/『笈日記』に「蘆牧亭」と前書があるので「閑人」とは異性の蘆牧(生没年、姓名不詳)を指す

【小生comment】
 『野ざらし紀行』第1回は、出立した新暦でいう09月下旬から、伊勢外宮を参詣した一昨日(10月08日)迄を一挙にご紹介した為、volumeが予想以上に嵩んで仕舞った。
 それにつけても、芭蕉は、杜甫&杜牧の漢詩や西行の短歌等、中国・日本の古典に対する見識の深さに感心させられる。
 次回〔第2回〕は、「九月八日(新暦10月16日)‥・伊賀上野着、兄半左衛門宅に滞在‥」だけなので今回に比べずっと少なくなる。
 更に余談‥。
 一昨日の10月08日(土)、松尾芭蕉が奥の細道のむすびの地「大垣」に行って芭蕉の足跡を訪ねてみた。
 芭蕉は、奥の細道の最後を、門人で朋友である谷木因の居る「大垣」に滞在したのが1689(元禄02)年八月廿一日~九月五日(=新暦10月04~17日)で、当に327年前の今、二週間も大垣で過ごしていたのである。
 居心地が余程良かったことと思われる。
 大垣は、何度もお話している様に、豊橋市多米町の領主だった戸田一西(かずあき)の嫡子氏鉄(うじかね)が藩祖(10万石)である。
 だから小生にとってはとても身近な感じがする街である。
 次回『野ざらし紀行』〔第2回〕をお楽しみに!

■続いての話題は、「09月22日:豊橋美術博物館『放浪の天才画家 山下清(1922-71)』展を見て」についてである。
 『放浪の天才画家』と言えば、山下清を連想する。
 彼の作品は、貼絵が印象派の点描と共鳴してとても見ていて気分がいい。
 何故か見る度に日本人としての郷愁を感じせる魅力ある作品が多く、小生は好きな画家の一人である。
 今日は、解説抜きで、彼の作品の良さに浸って下さい。

[03]本展leaflet/山下清『長岡の花火』1950年〔貼絵〕
 03leaflet1950

[04]山下清『金せん花』1949年〔貼絵〕
 041949

[05]同『お蝶夫人屋敷(Glover House)』1956年〔ペン画〕
 05glover_house1956

[06]同『スイス風景』1963年〔貼絵〕
 061963

[07]同『ロンドンのタワーブリッジ』1965年〔貼絵〕
 071965

[08]同『パリのノートルダム寺院』1961年〔水彩画〕
 081961

[09]同『パリのムーランルージュ』1961年〔水彩画〕
 091961

■続いての話題は、09月24日に私用で名古屋へ出かけた折、岐阜県美術館『フランス風景/樹をめぐる物語』展、古川美術館『絵に生きた画家夫婦の軌跡/加藤金一郎と丹羽和子‥絵は人生‥』展、名都美術館『自然讃歌‥時のうつろい‥』展、鞍ヶ池アートサロン『~院展の画家たち~秋澄む日本画~』展を見て」

【岐阜県立美術館『フランス風景/樹をめぐる物語』展】
 この日最初に訪れたのが、岐阜県美術館。
 本展は、『樹木』をKey Wordに、コローからモネやピサロ、ルドン、マティスまで、France風景画の変遷を辿る。
 展示作品の中から幾つかをご紹介する。

[10]岐阜県美術館『樹をめぐる物語』展入口
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[11]本展leaflet
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[12]ジュール・バスティアン=ルパージュ『ダンヴィエの村』制作年不詳
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[13]シャルル=フランソワ・ドービニー『ヴァルモンドワの下草』1872年
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[14]カミーユ・ピサロ『マトゥランの丘にて、ポントワーズ』1874年
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[15]カミーユ・ピサロ『牛の番をする農婦、モンフコー』1875年〔岐阜県美術館蔵〕
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[16]マクシミリアン・リュース『日没の風景』1888年
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[17]アシール・ロージェ『花咲く樹、春の庭』1897年頃
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[18]ロル・アントワーヌ・パンション『道、雪の効果』1905年
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[19]ロベール・アントワーヌ・パンション『曳船道』1909年頃
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[20]フェリックス・ヴァロットン『オンフルールの眺め、朝』1912年
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[21]エミール・ノルデ(ハンス・エミール・ハンセン)『ブーヘンヴァルトの春Ⅱ』1915年
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[22]クリスチャン・ロールフス『春の樹』1917年
 221917

【古川美術館『絵に生きた画家夫婦の軌跡/加藤金一郎と丹羽和子‥絵は人生‥』展】
 続いては、名古屋市千種区池下にある古川美術館を訪れた。
 現在開催中の企画展は、地元名古屋を中心に活躍した洋画家 加藤金一郎(1921-1997)と丹羽和子(1924-2014)の企画展。
 加藤金一郎氏は、洋画家 猪熊弦一郎に師事、新制作協会を中心に活動。
 1970年代からは日本の各地の祭りや、め欧州・中南米・日本の各地の風景を描いた。
 夫人の丹羽和子氏は、女子美術大学卒業後に加藤と結婚、新制作協会を舞台に活動。
 生涯《女》《人間の内面》を鋭い視線で捉えた作品は、Surで大胆な個性的な作品である。
 〔以上、本展leaflet から引用〕

[23]本展leaflet/写真=上段:加藤金一郎=(左)『夏の山』1979年・『快晴御嶽』1983年(右)
              =丹羽和子=『'99 刻(とき)―黒い太陽―』
 23leaflet

[24]加藤金一郎『北信州(小谷村)』制作年不詳
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[25]加藤金一郎&丹羽和子夫妻
 25

【名都美術館『自然讃歌‥時のうつろい‥』展】
 本店は、名都美術館所蔵の日本画の中から、四季のある日本の、その移り変わりにspotを当てた企画展。
 著名な日本画家が家がいたその展示作品の名画の幾つかをご紹介する。

[26]入江波光『白梅(梅花小禽図)』制作年不詳
 26

[27]伊藤小坡『春のよそほい』1930年
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[28]伊東深水『薄紅梅』1946年頃
 281946

[29]鏑木清方『初夏の化粧』1919年頃
 291919_2

[30]山口華楊『鹿苑』1969年
 301969

[31]東山魁夷『ハルダンゲル高原』制作年不詳
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[32]牧進『夕顔』制作年不詳
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[33]関主税『湖』制作年不詳
 33

[34]田渕俊夫『越中冬景』1980年
 341980

[35]小山硬『早春』1990年
 351990

【鞍ヶ池アートサロン『~院展の画家たち~秋澄む日本画~』展】
 この日4つめの美術館は、「院展の画家」の傑作展である。
 日本画壇の巨匠達に拠る最高傑作選全20展が展示されている。
 今日は、その中からアンケートで頂戴したpostcard2枚他2点をご紹介する。
 
[36]鞍ヶ池artsalon があるトヨタ鞍ヶ池記念館 入口
 36artsalon

[37]片岡球子『めでたき富士』
 37

[38]奥村土牛『冨士 精進湖』
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[39]岩崎英遠『夕雲』
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[40]田渕俊夫『大仏殿遠望』
 40

【小生comment】
 絵画を沢山見ていると、本当に色々なことが勉強になる。
 「美」に対する感性も徐々にではあるが、間違いなく磨かれて来た様に最近感じられる。
 一流の画家について、古今東西共通して次のことが言えると思う。
 即ち、「彼等一流の画家達は、絵画の基本三要素である「dessin」「color」「composition」を技術的に確立しており、その基盤の上で、その画家が新たに自らの感性に従って original な境地を創り上げている」ということである。

【後記】小生、最近、詳細は申し上げられないが、本業の仕事が厳しい局面になり大変忙しく、慌ただしい毎日を過ごしている。
 だから、余暇を活用したこの blog 作成は時間繰りが結構大変である。
 しかしだからこそ、この blog 作成が重要になっているのも事実である。
 何となれば、この blog 作成が小生にとって stress 発散に一番の良薬〔=気分転換=〕になっているからである。
 だから、小生が元気な限りこの blog は続けていくつもりである。
 皆さん、引き続き応援を宜しくネ!
 ではまた‥。(了)

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