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2016年10月14日 (金)

【時習26回3-7の会 0622】~「松尾芭蕉『野ざらし紀行』〔第2回〕」「10月01日:静岡市美術館『ランス美術館』展&岡崎市美術博物館『ブリュ―ゲルとバロックの巨匠』展を見て」「平野敦之『できる男の老けない習慣』を読んで」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 今日も《会報》【0622】号をお送りします。

■さて今日は、前《会報》に引き続き、松尾芭蕉(1644-94)の第一作目となる紀行文『野ざらし紀行』〔第2回〕をお届けする。
 まず復習を兼ねて『野ざらし紀行』の行程を以下に再掲する。

※ 1684(貞享元)年 ※
【済】八月中旬(十一~廿日(新暦1684年9月20~29日頃))‥・江戸深川の草庵を門人千里(ちり(=苗村氏))を伴い、東海道を上方を目指して出立。
【済】八月二十日過ぎ(新暦09月30日過ぎ)‥・小夜中山を越える
【済】八月晦日(新暦10月08日(猶、八月は小の月につき晦日は29日)‥・伊瀬外宮を参詣
◆九月八日(新暦10月16日)‥・伊賀上野着、兄半左衛門宅に滞在
 ‥・千里の故郷、大和国竹内村千里宅を訪問、吉野山に登る
 九月下旬(新暦10月28日~11月06日)‥・今須・山中を経て大垣へ‥谷木因亭に泊す
 十月初旬~中旬(新暦11月07日~25日頃)‥・伊勢の多度権現、桑名本統寺を経て熱田へ
 十月下旬(新暦11月25日頃~12月06日)‥・名古屋へ赴く、その後再び熱田へ
 十二月廿五に(新暦1685年01月29日)‥・伊賀上野に帰り越年

※ 1685(貞享02)年 ※
 二月(初旬から中旬廿日迄(新暦03月05日~03月24日)) 伊賀より奈良へ、二月堂の行事を配す
 因みに、東大寺二月堂の修ニ会(しゅにえ(=おみずとり))は二月一日~十五日(現在は、新暦03月01~14日に行われる)
 二月下旬(廿一日~晦日(新暦03月25日~04月03日)) 京都鳴滝の三井秋風の山荘に遊ぶ
 三月上旬(朔日~十日(新暦04月04日~13日) 伏見西岸寺に任口上人を訪ねる
 三月中旬(十一日~廿日(新暦04月14日~23日)) 水口の駅で服部土芳に逢い数日滞在、のち名古屋へ向かい熱田の桐葉亭へ
 四月四日(新暦05月06日) 鳴海の下郷知足を訪ねる
 四月五日(新暦05月07日) 熱田へ戻る
 四月九日(新暦05月11日) 再び鳴海へ赴く
 四月十日(新暦05月12日) 鳴海を発ち、江戸へ向かう
 四月下旬(廿一日~晦日(新暦05月23日~06月01日)) 木曾・甲斐を経て江戸へ帰着

《原文》
 長月の初(はじめ)、古(=故)郷(注1)に帰りて、北堂の萱草(けんさう)(注2)も霜枯(しもがれ)果(はて)て、今は跡だになし。
 何事も昔に替(かは)りて、はらから(注3)の鬢(びん)白く眉(まゆ)皺(=皺(しわ))寄て、只(ただ)「命有(あり)て」とのみ伝(いひ)て言葉はなきに、このかみ(注4)の守袋(まもりぶくろ)をほどきて、
 「母の白髪(しらが)お(=を)がめよ、浦島の子が玉手箱(注5)、汝がまゆもやゝ老(おい)たり」
 と、しばらくなきて、

  手にとらば消(きえ)んなみだぞあつき秋の霜

《現代語訳》
 九月初旬、故郷の伊賀上野に帰ると、母が亡くなって久しく、既にその名残りもない。
 全ての事が昔とは変わって仕舞い、兄姉妹の髪の毛は白く、眉に皺が寄り、ただ「命さえあれば」とだけ言って言葉は無く、兄が守り袋を解(ほど)いて、
 「母の形見の白髪を拝みなさい。(本当に久しぶりの帰省なので) お前(=芭蕉)にとっては浦島太郎が玉手箱を開けるみたいだネ。お前の眉も大分白くなったナァ」
 と、暫く泣いて、

【意】母の遺髪を手に取ると、熱い涙で消えて仕舞いそうだ/秋の霜の様に
【季語】秋の霜:秋

《語句》
(注1)古郷(=故郷):伊賀上野(現・三重県上野町)/芭蕉は1672(寛文12)年(29歳)、故郷伊賀上野を後にした
   1675(延宝03)年(32歳)には江戸に住んでいたので、この3年間のいずれかの間(=諸説あり=)に江戸に移り住んだ
(注2)北堂の萱草(けんそう/くわんそう):古代中国で士大夫の家では、東房の北側半分を母(=主婦)の居室とし、その庭に萱草(わすれぐさ)を植える風習があった
   /転じて、「母」のこと
(注3)はらから:兄弟姉妹/芭蕉には兄半左衛門のほか、姉一人、妹三人がいた
(注4)このかみ:長兄 松尾半左衛門
(注5)浦島の子が玉手箱:芭蕉の久しぶりの帰郷を浦島が玉手箱を開ける昔話にたとえた

《原文》
 大和の国に行脚(あんぎや)して、葛下(かつげ)の郡(こほり)(注1)竹の内(注2)と伝(いふ)処(ところ)に(=は)(注3)彼(かの)ちり(=千里)が旧里なれば、日ごろとどまりて足を休む。

  わた弓や琵琶(びは)になぐさむ竹のおく

《現代語訳》
 大和の国を徒歩で旅して、葛下の郡竹の内という所が、例の(我が門弟である)千里の故郷であるので、数日留まって休息した。

【意】綿弓をまるで楽器の琵琶の様にベベベーンと弾き鳴らす
   その琵琶に似た音色に旅人の心が慰められることだヨ‥此処、竹藪の奥の閑居でジックリ聴いていると‥
【季語】綿弓:秋
【解説】「綿弓」は「綿打ち弓」とも/綿の実から取り出した綿を弦で弾き、不純物を取り去って柔らかくする道具
    形が「弓」に似ているからその名が付いた
    此処では、実際に打つ時に出る音が琵琶の音の様だと詠んでいる

《語句》
(注1)葛下の郡:現・奈良県北葛城郡
(注2)竹の内:当麻町竹内
(注3)伝(いふ)処(ところ)に(=は):底本「處に」と書き、右に傍記して「ハ」と改める

《原文》
 ニ上山(ふたかみやま)(注1)當麻寺(たいまでら)(注2)に詣(まう)でゝ、庭上(ていしやう)(注3)の松をみるに、凡(およそ)千とせもへたるならむ。
 大(おほ)イサ牛をかくす(注4)共(とも)伝(いふ)べけむ。
 かれ非常(=情)(注5)といへども、仏縁(注6)にひかれて、斧斤(ふきん)の罪(注7)をまぬかれたるぞ幸(さいはひ)にしてたつとし。

  僧(そう)朝顔幾(いく)死(しに)かへる法(のり)の松

《現代語訳》
 ニ上山当麻寺に詣でて、庭の松を見ると、およそ千年も経ているかと思われる。
 大イサ牛を隠すと『荘子』に語られているように、まさに牛を隠すほどの大きな松だ。
 松に心は無いといっても、寺に庭に植えられたという仏縁に拠り、斧(=おの)で切り倒されずに済んでいることは、幸いで尊いことであるヨ。

【意】偶々仏縁に恵まれた齢千年となる老松からみれば、この寺の僧侶や朝顔の花等は、幾度となく生死を繰り返していて、その一生は短く儚い
   そして、この老松が長い命脈を保てるのも、本寺が深い信仰に支えられ、伽藍が長い年月保たれ続けて来られたからこそである
【季語】朝顔:秋

《語句》
(注1)ニ上山:奈良県北葛城郡当麻町と大阪府南河内郡との間にある山
       山麓に当麻寺(禅林寺)がある。中将姫の伝説で名高い
(注2)當麻寺:開基=麻呂古王(聖徳太子の異母弟)/山号=二上山
   本尊=創建時:弥勒仏(金堂)→現在・當麻曼荼羅(本堂)
   宗派:高野山真言宗・浄土宗の並立
(注3)庭上(ていしやう):『易林本節用集』『日葡辞書』等に「清音」で読む
(注4)大イサ牛をかくす:「櫟社の樹を見る。その大いさ牛を蔽(かく)す」(『荘子』「人間世篇」)
  「見櫟社樹、其大蔽牛、絜之百囲/櫟社(レキシャ)ノ木ヲ見ル二、其ノ大イサ(=大キサ)牛ヲ蔽(オオ)フ、之ヲ絜(ムス)ブ二百囲(ヒャクイ)」
  【意】櫟社の神木の檪(クヌギ)の大木を見た/その大きさは千頭の牛を隠すほどで/人間百人が両手を開き結んだ程の幹の太さだ
  「(大(オオ))イサ」=「(大(オオ))キサ」/「櫟社(レキシャ)」は櫟(クヌギ)の神木を社(やしろ)としたもの
  「櫟社ノ木」は、ものの用に立たない大木で、それ故材木として使用されず、大木になる迄寿命を全うした『無用の用』の例話として名高い
(注5)非情:心が無い/木や石など心が無いもの
(注6)仏縁:寺の庭に生えているという縁
(注7)斧斤の罪:「斤」=「斧」=「おの」/斧で切り倒される罪
  「不夭斤斧、物無害者/斤斧(きんふ)二夭(よう(=夭逝=早死に)の意)セラレズ、物ノ害スル者無シ」〔『荘子』「逍遥遊篇」〕
  【意】「斤斧」即ち、「おの」に刈り倒されることもなく、何も心配することもない

《原文》
 独(ひとり)よし野ゝ(=の)おくにたどりける(注1)に、まことに山深く、白雲峯に重(かさな)り、烟雨(えんう)(注2)谷を埋(うづ)ンで、山賤(やまがつ)(注3)の家處ゝ(ところどころ)にちい(=ひ)さく、西に木を伐(きる)音東にひゞき、院ゝの鐘の声は心の底にこたふ。
 むかしより、この山に入(いり)て世を忘たる人の、おほくは詩にのがれ哥(=歌)にかくる。
 いでや(注4)、唐土(もろこし)の廬山(ろざん)(注5)といはむも、またむべならずや。

   ある坊(注6)に一夜をかりて

  碪(きぬた)打(うち)て我にきかせよや坊が妻

《現代語訳》
 一人で吉野の奥を辿(たど)って行くと、誠に山が深く、白い雲が峯に重なり、霧雨が谷を埋めて、樵(=木こり)の家が所々に小さく見え、西に木を切る音が東に響き、寺々の鐘の音が心の底に染みる。
 昔から、この山に入って俗世間を忘れた人の、多くは詩に逃れ歌に隠れた。
 いやまったく、唐土(もろこし)の廬山というのも、尤もなことだ。

   ある僧坊に一夜を借りて、

【意】砧を打って私に聞かせてくれ/坊の妻よ
【季語】碪(砧(=きぬた)):冬
【解説】「みよし野の山の秋風さ夜ふけて古里寒く衣うつなり」藤原雅経(1170-1221)〔新古今集 秋下483/【小倉百人一首 94番】〕
   【意】吉野の山の秋風が夜更けて吹き渡り、古い京都であった吉野の里は寒く、衣をを打つ音が聞こえて来る

  子夜呉歌  李白(701-62)
 長安一片月 長安一片の月
 萬戸擣衣聲 万戸衣を打つの声
 秋風吹不盡 秋風吹いて尽きず
 總是玉關情 総て是れ玉関の情
 何日平胡虜 何れの日か胡虜を平らげ
 良人罷遠征 良人遠征を罷めん

【意】長安の街をぽつんとある月が照らしている
   どの家からもトントンという衣を打つ砧(きぬた)の音がしてくる
   秋風は吹き止まない
   これ等総てのことが、玉門関の彼方に出征している夫を思い慕う情を掻き立てる
   いつになったら夫は夷敵を斃して遠征から帰って来るのかしら‥

《語句》
(注1)たどりける:底本に「たどり『て』」を「見せ消(け)ち」にする
(注2)烟雨:霧雨
(注3)山賤:樵(=木こり)
(注4)いでや:いやまさに
(注5)廬山((ろざん)中国語:Lushan):中国江西省北部の九江市南部にある名山
   廬山国家風景名勝区に指定され、廬山自然公園としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている
   古来、多くの文人墨客や僧などが訪れたり隠棲した
   中でも、廬山の北嶺の香炉峰は、白居易がの詩が特に有名
   彼が44歳だった815(元和10)年、江州の司馬に左遷された時に詠んだ七言律詩「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」
   この詩は、清少納言『枕草子』で紹介されている

  香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁
  /香炉峰下 新たに山居を卜し草堂初めて成り 偶東壁に題す
   /白居易(772-846)

 日高睡足猶慵起 日高く睡(ねむ)り足りて猶お起くるに慵(ものう)し
 小閣重衾不怕寒 小閣に衾(きん)を重ねて寒さを怕(おそ)れず
 遺愛寺鐘欹枕聴 遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き
 香炉峰雪撥簾看 香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看る
 匡廬便是逃名地 匡廬(きょうろ)は便(すなわ)ち是れ名を逃のがるるの地
 司馬仍為送老官 司馬は仍(な)ほ老(ろう)を送るの官たり
 心泰身寧是帰処 心泰く身寧きは是れ帰する処
 故郷可獨在長安 故郷 何ぞ独り長安にのみ在らんや

【意】日は既に高く確り眠った筈なのに、猶、起きるのが億劫だ
   小さな部屋だが衾((ふすま=しとね)=布団)を重ねているので寒さの心配はない
   遺愛寺から響く鐘の音を枕からじっと耳を傾けて聞き
   香炉峰に降る白雪は、簾(すだれ)をちょっと撥ね上げて見てみる
   廬山こそは煩わしい俗世間の名声や名誉から逃避するに相応しい土地で
   司馬という官職は、老後を送るには相応しい官職である
   身も心も安らかでいられる所こそ、自分の落ち着ける場所なのである
   故郷は、長安だけにあるのではない

(注6)坊:僧坊

《原文》
 西上人(さいしやうにん)(注1)の草の庵(いほり)の跡は、奥の院より右の方(かた)ニ町計(ばかり)わけ入(いる)ほど、柴人(しばびと)(注2)のかよふ道のみわづかに有(あり)て、さがしき(注3)谷をへだてたる、
 いとたふとし。
 彼(かの)とくゝゝの清水(しみづ)はむかしにかはらずとみえて、今もとくゝゝと雫(しづく)落(おち)ける。

  露とくゝゝ心みに浮世すゝがばや

《現代語訳》
 西行上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方へ二町程分け入っていくと、柴刈りする人が通う道が僅かにあり、険しく切り立った谷を隔てている。
 大変尊い。
 西行の歌にある、あの「とくとくの清水」は、今も昔に変わらずとくとくと雫が落ちている。

【意】とくとくと流れ落ちる雫で、試みに浮世の塵を洗い流してみようか
【季語】露:秋
【解説】「とくとくと落つる岩間の苔清水くみほすほどもなきすまひかな」
   【意】とくとくと流れ落ちる岩間の苔清水は僅かな水の量だが、それでも私の住まいは一人暮らしには十分だ 〔西行〕
      但し、この歌は西行伝とされ、彼の歌集「山家集」「聞書集」「聞書残集」のいずれにも存在しない

《語句》
(注1)西上人:西行上人
(注2)柴人:柴刈りをする人
(注3)さがしい:険しく切り立っている

《原文》
 若(もし)是(これ)、扶桑(ふさう)(注1)に伯夷(注2)あらば、必(かならず)口をすゝがん。
 もし是(これ)、許由(きょゆう)(注3)に告(つげ)ば、耳をあらはむ。
 山を昇り坂を下(くだ)るに、秋の日既に斜(ななめ)になれば、名ある所ゝみ残して、先(まづ)、後醍醐帝(注4)の御廟(ごべう)を拝む。

  御廟年経て忍ぶは何をしのぶ草

《現代語訳》
 もし日本に伯夷がいれば、必ずこの清水で口を濯(すす)ぐだろう。
 もし許由にこの清水のことを告げれば、耳を洗うだろう。
 山を昇り坂を下ると、秋の日は既に傾いて来た為、先ず最初に後醍醐天皇の御廟を拝んだ。

【意】長い歳月を経た後醍醐帝の御陵のその傍らには、程良くしのぶ草が育っているヨ
   後醍醐帝の「忍」ばれた御心が痛い程解る様な気持ちだ
【季語】忍:秋

《語句》
(注1)扶桑:古代中国からみた日本の呼称/もとは巨木の意味/中国の伝説で東の海の果てにある国、即ち「日本」を指す
(注2)伯夷:中国殷の人物/周の武王が殷を討つ不義を弟の叔斉(しゅくせい)と共に諌めたが容れられなかった為、首陽山(中国陝西省の山)に隠棲し、蕨で餓をしのいだが餓死した
(注3)許由:中国「三皇五帝」時代の伝説の隠者
   尭から王位を譲ると言われ、汚らわしいことを聞いたと潁川(えんせん:中国河南省の川)で耳を洗ったという高潔な人物
(注4)後醍醐帝(1288~1339):南北朝時代の天皇/吉野で南朝を開いた/52歳で吉野で崩御/その御陵は如意輪寺の裏山塔の尾にある

【小生comment】
 次回『野ざらし紀行』は、「九月下旬(新暦10月28日~11月06日)‥・今須・山中を経て大垣へ‥谷木因亭に泊す」である。
 芭蕉(1644-94)と谷木因(たに ぼくいん (1646-1725))の銅像は、本《会報》末尾の添付写真[29]をご覧頂きたい。

■続いての話題は、10月01日に静岡市美術館『ランス美術館』展&岡崎市美術博物館『ブリュ―ゲルとバロックの巨匠』展を見て来たのでその模様についてお伝えする。
【静岡市美術館『ランス美術館』展】
 本展は、ランス美術館( Musee des Beaux-Arts de Reims )の大規模改修に合わせ持ち出しが可能となった、ドラクロワ(Delacroix)、コロ―(Corot)、ミレー(Millet)、ピサロ(Pizarro)、シスレー(Sisley)、ゴーギャン(Gauguin)、ドニ(Denis)をはじめとする17世紀から20世紀の巨匠達と、晩年此の地で洗礼を受け、制作も行ったレオナ―ル・フジタ(藤田嗣治)等、特別出展を含む名画約70点を展示する。
 Franceの古都ランス(Reims)は、Parisの東北東約130kmの所に位置する、シャンパーニュ地方の人口18万人余りの街。
 ランスには、世界遺産のランス・ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Reims)がある。
 5世紀、フランク王国の国王クローヴィス(466-511)が、この大聖堂にてランス司教レミギウスからキリスト教改宗の洗礼を受けた。
 爾来、この大聖堂にて、歴代フランス国王の戴冠式が行われた歴史を持つ。
 以下に展示作品の中から幾つかの作品をご紹介する。

[01]静岡市美術館入口1階elevator
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[02]本展leaflet
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[03]マールテン・ブレーマ・デ・ストンメル『レモンのある静物』17世紀
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[04]作者不明(France)『ルイ15世の娘、アデライ―ド夫人の肖像』18世紀
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[05]ジャック=ルイ・ダヴィッド(及び工房)『マラーの死(La Mort de Marat)』1793年07月13日以降
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[06]シャルル・ランデル『タンジ―ルのユダヤ人の女(La Juive de Tanger)』1866年以降
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[07]カミ―ユ・コロ―『川辺の木陰で読む女』1865-70年
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[08]カミ―ユ・ピサロ『オペラ座通り、テアトル・フランセ広場(L'Avenne de l'Opera ou Place du Theatre Francais)』1989年
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[09]ジャン=フランソワ・ラファエリ『シャンゼリゼ(Les Champs-Elysees)』1902年
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[10]ポール・ゴーギャン『薔薇と彫像』1889年
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[11]モーリス・ドニ『魅せられた人々(Les Captifs)』1907年
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[12]レオナ―ル・フジタ(藤田嗣治)「平和の聖母礼拝堂のフレスコ画より『父なる神と聖母子』」
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 静岡市美術館を見た後、当初予定の静岡県立美術館を目指した。『徳川の平和』展を見る為である。
 しかし、県立美術館駐車場が満杯。
 暫く駐車場が空くのを待ってみたが全く空く気配もない為、拝観を諦め、岡崎市美術博物館へと向かった。

【岡崎市美術博物館『ブリュ―ゲルとバロックの巨匠』】
 本展は、Rembrandt、Velazques、Rubens といったbaroqueを代表する画家、Tiziano を始めとする16世紀のVenezia派、Flanders地方で活躍したピーテル・ブリュ―ゲル(子)兄弟の作品等、チェコ共和国のプラハ国立美術館・Polandのヨハネ・パウロ2世美術館・Franceのシャルトル会修道院美術館の3館が所蔵する名品全44点を展示する企画展。
 因みに、baroqueという言葉は、Portugal語で「歪んだ真珠」を意味する「バロッコ(barroco)」が語源という。
 以下に本展の展示作品の幾つかをご紹介する。
 Baroque絵画の醍醐味を堪能下さい。

[13]岡崎市美術博物館入口
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[14]本展leaflet
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[15]16世紀ボローニャの画家(Tizianoの追随者)『ルルクセレティアの死』1527年
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[16]パオロ・ヴェロネーゼ(本名:パオロ・カリアーリ)『女性の肖像』1565年
 161565

[17]Rembrandt van Rijn『襞襟を付けた女性の肖像』1644年
 17rembrandt_van_rijn1644

[18]ピーテル・ブリューゲル(子)『東方三博士の礼拝』1564-65年
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[19]ピーテル・ブリューゲル(子)『フランドルの村』
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[20]ペーテル・パウル・ルーベンス(工房)『自画像』
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[21]アンソニー・ヴァン・ダイク『エジプトへの逃避途上の休息』1637年
 211637

[22]バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『自画像』
 22

[23]バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『聖母子』
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[24]ムリーリョ『無原罪の御宿り』1660-65〔プラド美術館〕
 24166065

[25]ディエゴ・ベラスケス『自画像』
 25

※ [17][21][23]の3点は、以下の展覧会で展示され既に見ている
※ [24]は本展の展示作品ではないが、ムリーリョの最高傑作としてupした
※ 2011年06月10日付《会報》【0345】~06月05日:豊橋美術博物館『ポーランド ヨハネ・パウロⅡ世美術館所蔵作品による~canvasに描かれた女性たち』展
※ http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/26-03452637-in-.html ご参照

【小生comment】
 上記2つの美術館の企画展で、16世紀から20世紀初頭にかけての名画を堪能出来た。
 Baroque絵画は黒を基調とした背景に光に拠る陰影が対象物を浮き上がらせる描法なのでクッキリと見えるが絵全体が硬い感じがする。
 その後、新古典派、ロマン派、写実主義〔バルビゾン派〕を経て、鮮やかな色彩の印象派、後期印象派、フォーヴィズムへと変遷していく。
 個人的には、ムリーリョ『無原罪の御宿り』は、とても可愛らしい『聖母マリア像』が大好きだ。
 とっても modern で cute な女性像である。

■続いては、最近読んだ本2冊、平野敦之『できる男の老けない習慣』&谷原誠『「いい習慣」が人を動かす』についてご紹介する。

[26]平野敦之『できる男の老けない習慣』
 26

 この本は、日本抗加齢医学会専門医・評議員で、和歌山県立医科大学泌尿器科学非常勤講師の平野敦之氏が著者。
 氏は、「実際、仕事が出来る男性には、同年代の人と比べてエネルギッシュで若々しい人が多い。その理由は、精巣でつくられる『テストステロン(testosterone)』と、副腎で作られる『DHEA(デ・ヒドロ・エピ・アンドロステロン(Dehydroepiandrosterone))』という「2つの男性ホルモン」で、医学的に説明出来る」という。
 本書から一部ご紹介する。

【男性ホルモンが少ない人はがんや生活習慣病になり易い!】〔P.53-55〕
 本当に「できる男」は、身体が丈夫です。
 体型はslimで、健康診断をしても、脂質異常症や高血圧、糖尿病に引っかかる人は少なく、概して健康体を維持しています。
 その理由は、自己管理が出来ていたり、確り運動していることなども関係がありますが、男性ホルモンの影響も実に大きいのです。
 先ず、男性ホルモンが減ると、血管をしなやかに保つ為に欠かせない一酸化窒素が出にくくなります。
 これが脳卒中や心臓病、高血圧といった心臓血管系の病気や、EDと深い関わりや〔中略〕腎臓の機能低下にも繋がります。
 又、testosteroneの低下に拠って筋肉量が減って来ると、基礎代謝が落ち、糖を消費しきれなくなり〔中略〕肥満に繋がります。〔中略〕
 Testosteroneの低下は、全身の免疫力も低下させ、結果的にがんになり易くなることも解っています。
 実際、40~79歳の男性、1万人以上を対象に、6~10年かけて死亡率を調査した研究結果で、心臓血管病に拠る死亡率、がんに拠る死亡率、それ以外を含めた全体の死亡率、いずれも血中testosterone濃度が高い人程死亡率が低いということが判明しました。〔後略〕

【寝たきりになる人と元気な人は、DHEAに大きな差があった】〔P.68-70〕
〔前略〕50歳を過ぎると、多くの人が何らかの病気に罹ったり、病気予備軍になっているのが現実です。
 しかしそんな中でも、幾つになっても健康体で、生活習慣病等とも無縁の人が存在することも又事実。
 そう言う人と、そうでない人の違い‥に大きな影響を及ぼしているのが実は副腎で作られているDHEAだということが、近年になって解って来ました。〔中略〕
 DHEAには成長ホルモンの分泌を促し、細胞修復を促進する力がある為、美肌効果が期待出来ます。
 是に加えて、肥満を抑える作用もある為、その人の見た目に影響を与えます。
 血中の脂質を低下させたり、動脈硬化や血栓を予防する等、全身の血管を若々しく保つのに役立ちます。
 結果的に血圧を下げる可能性もあります。
 Insulin抵抗性を改善し、糖尿病の発症を抑制する効果もあります。
 つまりDHEAは、資質異常症、高血圧、糖尿病といった生活習慣病の発症を抑制すると考えられるのです。
 その上、免疫機能を上げるので、結果的にがんになりにくくなります。
 このほか、骨粗しょう症の予防や、allergy反応の抑制、腎臓機能の保全、認知症発症の予防や記憶力の改善、抗stress、抑うつ効果等もあると言われています。〔中略〕
 100歳以上で寝たきりになっていない方のDHEAは、一般の人に比べて高いことが判明しているのです。
 ですから、副腎を元気に保ちDHEAを高く保ち続ければ、筋肉質の体系を保て、生活習慣病と無縁の健康体で、毎日明るく前向きに過ごせる可能性が高まります。
 逆に言えば、幾つになっても見た目が若々しく、健康体で仕事が出来る男達は、testosterone値もDHEA値も共に高いことが予想される訳です。〔後略〕
 
※『DHEA』は『副腎』でつくられる ※

【副腎を労(いた)わるには、stress対策が最も大切】〔P.74-76〕
〔前略〕副腎疲労には、stress以外の要因も少なからず関係しています。
 その一つが、偏った食事です。
 副腎ではホルモンを作るには、色々な栄養素が必要です。
 特に、vitamin B群、vitamin C、亜鉛等が不足すると、副腎は段々と働けなくなって仕舞います。〔中略〕
 いずれにせよ、副腎を労わるには、出来るだけstressを排除し、食事をはじめとした生活習慣を見直すことが、最も大切であることは間違いありません。〔後略〕

【筋トレで、男性ホルモンを活性化するにはコツがある】〔P.135-37〕
〔前略〕男性が男性ホルモン値と若さを維持する為には、有酸素運動と筋トレを半分位ずつ行うのが最も効果的ということが、最近の研究で明らかになっています。〔中略〕
 此処で、男性ホルモンの為に、拠り効果的な筋トレのコツ3つをあげます。
【一番目のコツ】全身の筋肉をbalanceよく付ける為に、日頃使わない筋肉を鍛える→・腹筋・背筋等、上半身の筋肉を意識的に鍛える〔理由:下半身は日常使っている為〕
【ニ番目のコツ】遣り過ぎないこと〔理由:筋肉が壊れる(=筋肉痛がある)と男性ホルモンが低下する為〕
【三番目のコツ】筋肉の原料となる蛋白質を確りと摂取する〔補足:蛋白質の代謝に関わるvitamin補給も意識して、肉・魚・卵・納豆等発酵した大豆製品+たっぷりの野菜〕
【更に余力があれば】walking、jogging、swimming を組み合わせる〔理由:これ等は有酸素運動であると共に、全身様々な筋肉を使い筋肉増加に役立つ為〕

【小生comment】
 この本に書いてある「testosterone」と「DHEA」を水準以上確保すべく、「筋トレ(=腹筋2,000回)≒60分間」と「有酸素運動(=2.5kgの木刀素振り60分間)」の計2時間を愚直に毎日実施している‥。
 そうして、元気に明るく、世の中に何か役立つことをし乍ら、長寿を全うしたいと考えている。

【後記】先週10月08日(土)は、前《会報》でお話した様に、現在連載中の『野ざらし紀行』の作者 松尾芭蕉が『奥の細道』むすびの地として最後に訪れた「大垣」に行って来た。
 芭蕉は、今から327年前の1689(元禄02)年八月廿一日~九月五日(=新暦10月04~17日)迄大垣で過ごし、九月六日(=新暦10月06日)に伊勢の二見が浦へ向け船で旅立って行ったのである。
 『奥の細道』の有終の美を次の句で締め括られている

  蛤(はまぐり)のふたみ(=二見(が浦)=二(つの)身)にわかれ行(ゆく)秋ぞ  芭蕉

[27]松尾芭蕉『奥の細道』むすびの地「大垣」船町港跡と住吉燈台(左手奥、桜並木の向こう側の塔)
 27

[28]住吉燈台
 28

[29]松尾芭蕉(肥大)と谷木因(右)
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[30]大垣城天守閣と大垣藩初代藩主 戸田氏鉄(うじかね)像
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 ではまた‥。(了)

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